たまには異なったスポーツを観るのも楽しい。 – なんトラ127

 11月の中旬より、なんだか例年よりあわただしく余裕なく過ごしております。
 TVのbj、ガオラとBBC(びわ湖放送)の中継放送やら、狛江市のスポーツ振興審議会の答申のための会議(高齢者、障がい者のスポーツをいかに盛んにするか…)、総合型地域スポーツクラブ準備委員会のプレ事業(ノルディック複合金メダリスト・荻原健司さん講演会)の司会などなどこなしていたらあっと言う間に12月下旬になってしまいました。
 ここのところ自分のやる事の多くが地域のなかで動くといった、かっこよく言えば“パブリック・サービス”の部分が増えて来ていて、新たな方との邂逅とともに大変刺激的で勉強になる日々を過ごさせていただいていると感じます。
 よく、やることがなくて…などということを聞きますが、私にとってはどうもそうしたこととは縁がないようでありますな。ありがたいことです。すべてスポーツ関連なので、今までの経験が生かせるし、人脈も使えるので楽しくやらせてもらっています。ゆくゆくは今やっていることが実りを迎える日も来ることと思います。

 そんななかで先日、友人からのお誘いで関東大学ラグビーの対抗戦グループの伝統の一戦、早稲田-慶応義塾戦を観戦に行ってきました。
 双方ともに全勝の対決でもの凄い好ゲームでした。この定期戦早稲田が圧倒的に強く61勝19敗、過去の成績から見れば早稲田が有利でしたが今シーズンは慶応が好調。こんな時は面白いとラグビー通は言っておりました。
 その分析は間違いなく、慶応が終始ゲームの主導権を握っていました。しかし、好ゲームであることは分かるし面白さも分かるのですがどうも細かいところは理解できんと思いつつ観ておりましたが、観客席の回りには独り言のようにかなり大きな声でその時のゲームの状況をつぶやいている人が何人もいましたのでかなりの部分理解できたものです。FMの電波で解説をする方法もあるな、などと考えましたが全然必要性は感じませなんだ。
 結局、慶応が押しながら早稲田が徐々に盛り返し20-20の引き分けに終わりました。29年ぶりの引き分けだそうです。そして慶応は帝京大との最終戦に勝てば優勝、引き分け以下の場合には明大戦を残す早稲田に優勝の可能性が出てくるということでした。(結果は慶応が帝京に負け、早稲田が明治に勝ち優勝をとげました。)
 そしてバスケ以外のスポーツの時は、まずその雰囲気を楽しむことを第一にしつつ観戦しますので、寒さ対策だけはきちんとして行きました。しかし11月23日は結構陽が当たっていれば暖かかったのです。でも、日陰になると寒さがしんしんと来ます。日が陰ったとたん我が友は、やおら携帯していたバッグから陶製のカップを取り出し琥珀色の液体を3分の1位入れ、さらに小さなポットからお湯を入れたのです。“ホットウィスキー”の出来上がり。
 回りの解説と、暖かいホットウィスキーで最高の観戦シチュエイションでした。屋外スポーツはこうでなければいけませんね。本当に楽しめたひと時でした。
 そこで今回教えてもらった雑学をひとつ。慶応大のラグビー部は正式には慶応義塾体育会蹴球部と言うそうです。普通蹴球と言えばサッカーのことを言いますが、さすが1899年創部の日本一古い大学ラグビーのルーツのチームは凄いのひとことです。ではサッカー部は何と言っているか? ソッカーと言うのだそうだ。足からきたのかな?。

さて今年も残り少なくなってきました。我が家の周りも「狛江心に残る百選」に選ばれたクリスマス・イルミネーションでキラキラです。玄関には例年の如くクリスマス+バスケのオーナメントで飾られています。皆様にも見て楽しんでいただきたくワンショットです。
来る年が皆様にとって最高に良い年になるようお祈り申し上げます。
それでは2010年の“なんトラ”もよろしくお願いいたします。なってったってトラ(虎)イの年ですから…。

☆写真は左からオラジュワン、ドレクスラー、バークリー、コービー、アイバーソン、ハーダウェイ(吉成誠作)


似たような話はあるもんだ。 – なんトラ126

 今頃こんなことを書くのも気が引けますが、私も流行のミクシ(mixi)なるものに登録しております。べつだん自分の恥ずかしい行動や、どう考えているかなどということを他人に知らせることもないと思っていますので日記は書きません。ただただ若き仲間がどんなことを考えているのかとか、何をやっているのかというのをじっと遠くから眺めております。
 私の若き友人もそれぞれ個性が違うので表現の仕方は異なりますが、なかなかみんなしっかりした考え方をもっているようですし、日常に起こることをきめ細かく書いています。こういう行動は良き文章を書く訓練にもなりますし、なかにはときどき、ハッとするような文章や、ここまであからさまに書くか? というものもあり、読ませて貰う側の勉強にもなります。
 編集者を長くやっていたおかげで文章に才能のある人はすぐに解かるような気がします。たいていは好きだけで書いていて自分ではその良さや、面白さに気がついていない人がほとんどです。
 良いことか悪いことかは定かではありませんがそんな物をもった人をその気にさせ、チャンスを与えるのが編集者という人間の使命であり、楽しさでもあるのです。

 さて、最近その私のmixi友だち(マイミクと言うのだそうです)が書いた日記に、「あらあら大変だったんだな、でも良かったな人間のやさしさを感じることが出来て」と読みながら思わず独り言をつぶやいてしまうようなフレーズがありました。そして人間の世の中、同じようなことを経験する人はいるものなのだな、と思い、感じ入った次第です。
 その文章はアメリカの東海岸に行った時の紀行文の中の一部です。ご本人にも了解をとったので載せさせていただきました。
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最後にボストンでの出来事。
ニューヨークに戻る飛行機が早朝だったため、ホテルを6時に出ると外は、まだ真っ暗。ホテル前にもタクシーはゼロ
前日、早朝のタクシーを頼んだら、「大丈夫。すぐに見つかるから。僕も見つけるの手伝うし」と言ってくれたホテルマンの姿はなし
暫くの間、スーツケースを運びつつ道を歩いてると、一台のリムジンが止まって運転手の年配の男性が「乗りなさい。送ってあげるから」と優しい言葉
フッカフカの乗り心地のよい車に乗ると、「スーツケースを押している姿が見えたけど、この時間はタクシーがほとんどいないから大変だと思って。次の客まで時間があったから」。
とーっても嬉しかったです
この運転手さんも、お喋り好き
空港までの20分、ずーっと喋りっぱなし。
こんな風に客を拾ったのは(普段はリムジンの予約のみなので)30年間で2回目で1回目は20年前の吹雪の日に老夫婦を乗せた、とか自分の仕事、ご家族から最近のアメリカの犯罪とその原因、などたーくさん話してくれました。
                      ★
ということで無事予定の飛行機には乗れたようで、めでたしめでたしでした。
筆者の彼女はバスケットが好きでNBAのファンでもあり、マイケル・ジョーダンの大ファンでもあるようです。

 実は、1984年の10月、シカゴのオヘア空港でも同じようなことがあったのです。
その時は早朝ではなく昼間だったのですが、21歳の青年がノースカロライナからの国内便で到着したのですが誰も迎えに来てはいなかったのです。青年の名はマイケル・ジョーダン。6月末のドラフト3位でシカゴ・ブルズに指名され契約に到ったのですが、そんな時には、ふつう球団関係者が迎えに来ているものなのです。しかし、何らかの手違いで彼はかなりの時間、所在無げに待つことになってしまったのです。まだ、誰もマイケルのことなど知らない頃のことです。アメリカ人としてはちょっと大きいけれどどこにでもいるサイズですから、オヘアの背景に完全に沈み込んでいたのでしょうね。
 そんな時、同じように所在無げに待っていた青年がジョージ・コーラー。かれはリムジンの運転手でした。来るはずの客が来ず、連絡の取り様がない状態だったそうです。同病相哀れむ、いや、同類項はカッコで括られるというか、ジョージがマイケルに話しかけたといいます。
「どうしたんだい?」
「うん、迎えに来るはずなんだけど来ていないんだ」
「どこへ行くんだい」
「ブルズのオフィスに行かなければならないんだけど、場所を知らないんだよ」
「オーケイ、前を通ったことがあるから乗りなよ」
「サンキュー、助かるよ」
 この後、一気にスーパースターの座に上りつめたマイケルは、恩返しとして事あるごとにジョージのリムジンを使ったそうです。そして、さらにその後マイケルはジョージをプライベートのアシスタント(マネジャー)として雇い、あらゆることをサポートして貰うようにしたそうです。
 練習やゲーム以外に行動する時はマイケルのそばには必ずジョージの姿がありました。当然、日本に来たときも影のように寄り添うジョージがいたことは言うまでもありません。
アメリカの黒人選手には多くの仲間や取り巻がいて、どこにもぞろぞろと黒い集団がついてくるといった図が見られるのですが、ジョージの場合は白人、やはりマイケルはちょっと違っていました。
 マイケルに直接物事を頼みたい時はジョージに、というのが親しい者の間の常識でした。それほど信用されていたのです。
 一人の人間のなにげない親切が、それをした人間の人生を大きく変えてしまったという一例です。運転手さんというのも立派な仕事ですが、マイケルのそばにいるというのだけでもエキサイティングなことですし、成りたいから成れるというような立場(仕事)でもないでしょうからね。
 
 リムジンの運転手ということで思わず思い出してしまいました。筆者を乗せたボストンの運転手さんにも必ず良いことは起こっているんじゃないかと思います。そう思いたいものです。
 それでは次回の“なんトラ”までSEE YOU!


bj各チームで日本人スコアラーが急成長しているぞ。 – なんトラ125

 NBAの2009-10シーズンが開幕しました。これから来年の6月までなにかと一喜一憂の騒がしい日々が続く方が多いのではないかと思います。それもまた楽しみなものですな。そして、何だかんだと言いながら早いもので、bjも一足早い10月3日から5年目のシーズンに突入しました。
現在のところ、イースタン(東)・カンファレンスが仙台、新潟、東京、埼玉、浜松・東三河、富山の6チーム。ウエスタン・カンファレンスが新加入の京都を入れて滋賀、大阪、高松、福岡、大分、沖縄の7チーム。計13チームで2009-10シーズンを行っています。

3年目のシーズンまでは外国籍のプレイヤーが何人出てもよく、極端なチームは5人の外国人プレイヤーが出ていたこともあるほどでした。まあ、コーチとしては勝つための方策として取った作戦でしょうし、ルール違反でなければどんな手を使ってもいいのですからそれはそれで面白かったものです。
各フランチャイズのファンも初めてバスケットボールなるゲームに触れて間もないころでしたから、勝てばただ嬉しいということだけで納得していた節があります。プレイ的には外国人プレイヤーが最後にダンクで決めると会場が一気に盛り上がるという感じでした。
しかし、そこそこバスケットを観込んで来たファンにとっては、なんとなく軽い感じがしていたのではないかと思います。バスケットの醍醐味はどんなレベルでも緊張感あふれるギリギリの競り合いにあると私は思っていますので、そんな場面が少なかったように思うのです。

そこで進化するリーグを標榜しているbjは4年目のシーズン、つまり昨年から外国人プレイヤーのオン・ザ・コートの枠を3人にし、アジア人は外国人枠に入れないというルールを作りました。現実的にまだ韓国や中国人のプレイヤーはいますがレギュラークラスになっている選手はいませんので、日本人選手のプレイイング・タイム(PT)がかなり増えるという結果が出てきました。
昨シーズンはまだちらほらという感じで目立たなかったのですが、今シーズンは俄然ブレークし始めました。日本人で20点オーバーの得点をあげる選手が続々と出てきています。サッカーもそうですがバスケットボールもギリギリの場面で点が獲れないという状況が世界選手権で現れて、スコアラー不足が指摘されていますが、コンスタントに得点できる素材が出現してきていることは本当に嬉しいことです。

とくに目立っているのは東京アパッチの青木康平、滋賀レイクスターズの城宝匡史、高松ファイブアローズの岡田優、琉球ゴールデンキングスの金城茂之ら。彼らは見ていて楽しいプレイヤーに成長してきました。
bjのスタートからTVの実況解説を務めさせてもらっておりますが、だんだんゲームの流れを中心に話せるようになって来ているのを感じます。最初の頃は外国人選手のダンクばかりが目立つ大味なゲームが多かったのですが徐々にきめが細かくなっています。
これは偏(ひとえ)に彼らがワンランク上のプレイをするようになって来たからといえましょう。彼らの成長でコーチもいろいろと手を打つ手段が増えていると思います。ありがたいことです。こちらとしてはいろいろお話する時のバリエーションが増えるからなのです。

それと、日本バスケットボール協会が方針の転換を試みてbjとJBLの歩み寄りを模索している現在、彼らが得点源としてナショナルチームに入って、国際ゲームで活躍するという夢も見ることも可能になって来ました。
少しずつですが変化してきそうな予感です。これらはすべてbjのプレイヤーの成長にかかっているといって過言ではないのです。なぜなら当初プレイヤーの資質はJBLが圧倒的に上と言われていたのですから…ね。さらに前記したプレイヤーに続く圧倒的な選手の出現を期待したいものです。
楽しみなシーズンインになっています。

それでは次回の“なんトラ”までSEE YOU!


なんトラ124

 10月6日から9日まで台湾に行って来ました。主だった理由は8日に行われるNBAのプレシーズン・ゲームの取材です。公式戦だったジャパンゲームスはすべて観ていましたので、同じアジア地域で行われるゲームはどのような雰囲気のなかで行われるのか、また対戦する2チームの様子を現地で見てみたかったのです。
正式名称はNBA GAMES 2009-TAIPEI。来台し、試合をしたのはデンバー・ナゲッツとインディアナ・ペイサーズ。ナゲッツの中心プレイヤーはチャウンシー・ビラップス(PG)とカーメロ・アンソニー(SF)。その他は先シーズンと変わりなく、新メンバーもあまりぱっとしてはいませんでした。一方、ペイサーズを牽引するのはT.J.フォード(PG)とダニー・グレンジャー(SG)。ジャーメイン・オニールが抜けて再建の年になりますが、派手なプレイヤーはいませんがそこそこ仕事をこなす面子が揃っているようです。
プレシーズン・ゲームというのは15人以上20人未満位の選手を選抜しておいて、開幕時には12人までに絞るためにコーチが試合で使ってみてセレクトする訳です。そのシーズンのレギュラー予定の8人以外を選ぶので、スレスレのところに位置するベテランや若手選手は必死です。田臥選手の例を見てもお分かりいただけると思います。毎年毎年チャレンジしていましたよね。
その中でも印象に残ったプレイヤーは、ペイサーズのジョッシュ・マクロバーツ(PF)とA.J.プライス(PG)のデューク出身コンビ、そして試合には出ませんでしたがゲーム前の練習を必死にアシスタント・コーチとやっていたノースカロライナ大出身のタイラー・ハンズブロー(C)らは何かやってくれそうな予感がします。
全体を通して観た感想は日本でのゲームより「NBAの楽しみ方が解っているなぁ」と言う感じでした。台湾という国は否が応でも大陸の中国の影響無しには存在できない国です。ですから国民は自衛手段として、香港の国民がそうであったように家族の誰かがカナダ、アメリカ、オーストラリアなどの国籍を保証として持つようになっているようです。いざとなったら逃げるために、なのですね。故にスポーツも外国で見る機会も多いでしょうし、取り入れるのも早いようです。アメリカは台湾を自由圏の砦的に考えていたため、野球、バスケットボールが大人気です。そんな所も大きく影響しているのでしょう。
何点か写真をご覧下さい。本当に凄い盛り上がりでした、両チームのマスコットのブーマー(インディアナ)とロッキー(デンバー)とじゃれあうファンのレベルの高さに感服したものです。これは北京でも同様だったようです。NBAはワールドワイドになったものです。今回は心底実感させてもらいました。

さてさて、考えてみたら私もずいぶんとNBAの取材に行かせて貰いました。一番最初は1978年、今から31年も前のことです。そのころはFAXもありませんでしたし、もちろんe-mailなどありません。1か月位前に手紙をチームに出しての取材申請でした。取材に行ってもアジア人なんて一人もいません。いつも聞かれたものです、「どこから来たの?」「日本にもバスケットボールはあるの?」なんてね。
思わず思い出してしまいました。便利な時代になったものだとつくづく思います。
久し振りのNBAの取材でまたまた火がつきました。bjが出来たことによってアメリカへ行っての取材が減ってしまっていましたが、再開です。ジョージに電話、いやメール、いやスカイプしなければ!
それでは次回の“なんトラ”までSEE YOU!


優勝しちまったぜい! – なんトラ123

 大分、涼しくなってきました。
読書の秋、食欲の秋、スポーツの秋と、なにをやっても爽やかですがすがしい季節がやってきました。
「何でも楽しくトライしよう」ということを生き方のメインにすえる“なんトラ人生”をおくる私ですから、野次馬根性も旺盛です。まだ暑かった9月6日の日曜日には、狛江市の総合型地域スポーツクラブ(狛わクラブ)の立ち上げイベントとして行った「親子ライフセービング 体験スクール」の着衣水泳にトライしました。
約50人ほどの参加者は集まったものの、50mプールを貸切の状態でしたので、私も“枯れ木も山の賑わい”ということで参加したわけです。
正確には着衣水泳というのはものの本によると“着衣泳”と言い、
「着衣状態で浮いたり、移動したりする動作を指します。特に水難事故から身を守る着衣泳(着衣水泳)を“命を守る着衣泳”と定義しています。着衣泳で呼吸が確保できると、救助の手が差し伸べられるまで生き続けることができます。無理して泳ぐ必要もありません。自分自身で長時間浮いて待つことができれば、必ず救助されます。命を守る着衣泳は、自分の生命を自分で助ける“助かる救助法”です。」
とあります。
少しは泳げると自負心は持っていたものの、ライフセイバーの方に言わせると、「海などで自力で泳いで岸に、などと考える人は一番先にお陀仏」ということだそうです。なぜならばそのときの潮の状態、天候などをしっかり認識しないで動くということは体力の消耗に繋がるからだそうで、まず体力を温存すること、そして救助を待つことに尽きるようです。その間、身の回りに浮くものがあれば“溺れる者藁をもつかむ”ではありませんが、それらを利用、材木やペットボトルなど何でも良いそうです。
 水の中で服を着ていると動きにくいし重いのですが、保温と言うことを考えるとなかなかの効果があると言います。さらに履いている靴、着ている服のボタンをすべて留めて空気を入れて浮き袋のようにするなど、いろいろと身の回りの物を生かすというテクニックはあるようです。
 そのように教えられたようにやっても駄目な時は駄目だそうですが、知っていると知らないのではいざという時には雲泥の差だということです。本当によい勉強になりました。

 さて、その節の打ち上げ懇親会時に2週間後の20日のシルバーウィークの真っ最中に行われる“市民スポレク大会”(スポーツ・レクリエーションを縮めたもの)のビーチボール大会の混合の部に出場することになりました。スポーツクラブを立ち上げたぞ! と言う宣伝のためと、存在を認知して貰うのが目的です。
10年程前に市のジムのアクティビティーで1回やったきりでしたが、これも周りのメンバーが他のチームで出場したり、仕事の都合で出られなかったりでお鉢が回ってきました。
ビーチボールというのは呼んで字の如し、浜辺で使うボールでバレーボールのようにプレイするというもの、4人制でローテーションシステムもあります。なんといってもボールがビニールですから軽くて指にも全然負担がかかりません。サーブはアンダーサーブのみ、なにやらバレーボールとバドミントンをミックスしたルールでボールがビーチボールと考えればよいと思います。
 ただ、ボールはものすごい勢いで浮いてきたり、出ると思ったら軽いのでフワット揚がって入ったり、サーブレシーブは片手でOK。バレーボールをやってはいたものの往生しました。まったく異なるスポーツです。
この大会のためクラブ設立準備委員のママのバレーボールチームでバレーの練習を1回、実に40数年ぶりのプレイでした。怪我こそしませんでしたが、腕には内出血の紫色の痣ができてしまい悲惨な状態、さらに試合前日の19日にビーチボールを実体験、目を覆いたくなるような酷さ。スポーツの奥の深さを体感しました。

 そして20日の本番。予選の2試合ができれば良し、と言う出場者皆の暗黙の了解でスタート、9チーム出場で3チームのリーグ戦でしたが、あれよあれよという間に2-0、2-0で勝ってしまいました。これで3位は確定。各ブロックの1位が集まり、またリーグ戦。ここでもありゃりゃと言う間にまたも2-0、2-0で優勝してしまいました。
 ひとえに私を除くチームメイトの経験十分な技量の素晴らしさ、とチームワークに尽きる優勝と言えましょうか。青天の霹靂、無欲が呼んだ勝利ですかな?。なにはともあれ、一致団結して勝った後の美酒は美味かったということを報告しておきましょう。

 それではまた次回の“なんトラ”までSEE YOU!