怒涛の…シリーズ② – なんトラ70

 8月と書くのが恥ずかしくなるほど寒くなってしまいました。
 でも、恥ずかしげもなく大阪インターハイ(高校総体)のことを書かせてもらいます。相変わらずインターハイは本当に素晴らしく、感動させてくれました。体格、体力の差などなんのその、必死になってプレイする様は勝敗を度外視して、誰もが納得するだけの説得力をもっていました。
ボクが初めて取材したのは1973年の津インターハイだからなんとも早随分昔のことですが、その若々しいプレイの与えてくれるパワーは変わらずに健在でした。それ以来何度も取材してきましたが、編集長にならされてからは良くて1日、大体は東京ですべて受けにまわされておりました。ですから今回のようにほぼ全日程の取材などする機会はもうないと思っていました。
そんなチャンスを与えてくれたのがビデオ製作会社・リアルタイムの大塚満彦社長でした。
「高校生をインタビューしてくれませんか? まさか、島本さんがするとは思っていな  いと思うので喜んでくれると思うんですよね」、
 という上手いおだての一言で乗らされてしまいました。ちょうどこの夏に3度目の成人式の歳になるし、何かにチャレンジしたいと思っていたところだったので、渡りに船とはこういうことなのでしょう。
上手いインタビューが出来たかどうかの自信はありませんが(各校の選手やコーチの皆さんすみません。それと大塚さんにも…)、楽しめました。現場でのインタビューはNBAではまず現地に行ってもないのが普通なので緊張もしましたし、良い経験をさせていただきました。
 1回戦から主に男子が多かったのですが、印象に残ったチームは桜宮(大阪)、恵庭南(北海道)、秦野(神奈川)、洛南(京都)、福大大濠(福岡)、北陸(福井)といった所でしょうか。それぞれポイントガードがしっかりしていて、放っておくといくらでも点を獲るプレイヤーがおりました。ここまでの高いレベルまで仕上げた指導者の先生方には本当に頭が下がります。
 会場は常に満員で観客の入れ替え制までしていました。バスケットボールの底力を見た気がします。そして今後もバスケットを応援し続けるという気持ちは間違っていないという勇気も貰えたような気がします。
 結果は男子が北陸、女子が桜花学園(愛知)の優勝となりましたが最後の表彰式を見ていて式典まで変わっていないのにはびっくりしました。
 唯一変わっていたのはプレイヤーたちのために椅子が用意されていた事でした。
 椅子を出すくらいだったら短くすればいいのにと思ったのはボクだけではないでしょう。
来年のインターハイは佐賀の唐津で、視察という名目でかなり佐賀県の役員の方々が来ていたようです。おそらくまた椅子を出すのでしょうね。アメリカのハイスクールのステイト(州)選手権を取材した事もありますが、せいぜい長くて10分、5、6分で終るのが普通でした。日本は変化を求めない国民性があると書いたことがありますが、なかなかそれを変えるのは難しそうです。
それと、あれだけ観客が入っているのですから100円でも、200円でも入場料を取ればいいのです。さだかではありませんが、どうせ文部科学省の予算で運営しているのでしょうが、わが日本は借金で困窮しているというのですからね。あのゲームを観れば誰も入場料をとっても文句を言う人はいないと思うのです。
そのお金を運営に使ったり、あるいは小中学校のバスケの普及に、または車椅子バスケの支援に使えばよいと思うのですけれどね。
さて、変わっていないといいましたが、チームに外国籍のプレイヤーが増えている点と、応援団の父兄と控えのプレイヤーがいっぱいだった点に時代の変化を感じました。これは両方とも日本の国が豊かになった証だと思うのです。
留学生が増えたのは日本という国が憧れの対象であり、日本語を学ぶ事によって良い生活が保障されるひとつの条件になるという事だと考えられます。主にセネガルや中国の大型プレイヤーが加わっているのですが、彼らを入れられないチームからは問題視する声もあるようですが、僕はポジティブに考えなければいけないと思っています。彼らが存在するから大型プレイヤー対策が出来るというように。
応援団が多いのは日本の家庭が裕福になったのでしょう。その昔、控えのプレイヤーは残って練習というのが当たり前でした。来年は行けるように…という頑張りの糧となっていたのです。父兄も時々散見する程度だったのです。まだ、そちらにお金をかけられるという余裕はなかったのでしょうね。

ともあれ、インターハイは元気でした。本当に勉強になりました。ますますバスケが大切なものになりました。

 それでは次回の「なんトラ」までSEE YOU SOON!


2006夏。怒涛シリーズの感想① – なんトラ69

 何とか怒涛の8月シリーズ全うして生還しました。

 大阪インターハイ、ファイブスター・キャンプ、世界選手権で沢山の方々にお会いし、またいろいろお世話になりました。皆様方のお陰で何とか乗り越えられたような気がします。旧知の方、また初めてお会いした方、皆バスケが大好きな方々ばかりで“元気玉”を沢山いただきました。だからでしょうね、こうして元気でいられるのは…。

 さて、世界選手権はいろいろなものをボクに与えてくれました。特に印象に残っているのは札幌に来ていたスロベニア応援団の50代の偉丈夫たち5人です。

日本vsパナマ戦の日にスポーツバーに行った時に会ったのですが、一緒に行った下田アナウンサーとワンプレイ、ワンプレイに興奮しつつ大騒ぎしながら見ていたら、隣の席にいた彼らも日本を応援するではないですか。ビックリするとともに、何時の間にやら声を掛けあったりハイファイブしたりで、一体感が生まれてしまったのです。おかげさまで日本が勝ち、皆で大喜びしながら“かんぱ~い”となったのは言うまでもありません。

そこから交歓がはじまりました。彼らの札幌へ来たコースを聞いてぶったまげました。リュブリアナ(スロベニアの首都です)からロシアのモスクワに飛び、そしてサハリン(樺太)のユジノサハリンスク経由で札幌入りしたというのです。おそらく日本人の発想の中にはこのコースはまず出てこないでしょう。費用はチケットこみで40万円位と言っておりました。貨幣価値からすればかなりの高額のはずで、よく日本に来たものです。みな、今でもバスケを続けてやっており、なかのひとりはヨーロッパ選手権にも出たといっていました。「どうりででかい筈だわ」と、思わず納得したものです。

彼らからも質問がありました。「今回のスロベニアチームをどう思うか?」というものです。良いチームだと思うけれどちょっとソフトかな? というのがボクの答えでしたが、昔のチームを知っているか? と聞くので自分の経歴、つまり月刊バスケを編集していたから知っているというと1978年のマニラの世界選手権や1976年のモントリオールオリンピックの話がどんどん出てきました。
昔のチームということはユーゴスラビア(旧)という国のことですが、いまや4つの国に分かれて独立しているので非常に複雑です。前出のスロベニア、そしてクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア・モンテネグロという風になっています。2007年にはセルビアとモンテネグロが分かれて5つになるというのですから日本人の思考の範疇を超えている民族性の問題といってよいでしょう。
そこで、元はひとつの国だったのでクロアチア出身のジェリコ・パブリセビッチが見ているチームの日本を応援してくれたということも合点したわけです。

 モントリオール、マニラあたりの選手は素晴らしく、時代が時代ならNBAも当確のプレイヤーがいたので、チョロチョロっとドラガン・キチャノビッチのゲームコントロールは素晴らしいとか、クレシミール・チョシッチやドラゼン・ダリパギッチは凄い支配力だったと話したら、もう、満面笑みで大喜びの大歓声。こんな話は日本では絶対にしないし、キョトンとされるだけですが効くところでは効くものですなぁ。
 彼らは極東のはじっこの日本でそんな名前を聞けるとも思っていなかったようなので大受けに受けました。
 雑誌の編集をやっていてよかったなぁ、と幸せに思う数少ない瞬間でした。

翌日からは会場で会うと必ずあいさつはもちろんのこと、一緒に来ている応援団の人を紹介してもくれました。本当に良い交歓ができたと世界選手権に感謝感謝です。

嬉しい気分が消えないうちになるべく早くなんトラ70を仕上げます。そのときまでSEE YOU!


世界選手権に行ってきました!!

この夏、4年に一度のビッグイベントが開催されました。テレビCMも結構流れていたので、言うまでもないですよね。バスケ界で最も権威のある大会、FIBA世界選手権です。4年に一度といっても、日本開催に話を限れば100年に一度(たぶん)。せっかく世界のトッププレイヤーが集まるんだから、もし見に行かなかったら後悔しすぎて発狂するかも。そんなわけで、行ってきました。

と、見に行くことだけは決めていたのですが、問題はいつ行くか。そりゃできるもんなら全日程会場に足を運びたいですがそういうわけにもいかず、グループラウンドは断念。さいたまスーパーアリーナでの決勝トーナメントに入ってからということにしました。
もし日本が決勝トーナメントに残れば日本戦の日と思っていたのですが、日本はグループラウンド敗退。というわけでその日は自分の都合を優先させました。でもニュージーランド(日本と同じ組の4位)のウォークライも見たかった(泣)。
そんなこんなで選んだのは29日の準々決勝1日目。カードはスペイン対リトアニア、アルゼンチン対トルコです。あまのじゃくなのであえてアメリカ戦は回避(爆)。ということで、当日コンビニでチケットを入手してさいたま新都心へ出発しました。今回は取材ではなく、一般客として会場入りするんですが、代々木開催のJBL(1000円)に慣れている身としては6000円は高い。というか普通に考えても、いくら世界選手権とはいえ自由席でこの値段って、「金のない奴は見に来るな」ってことでしょうか。
とりあえずそれはおいといて、試合開始の30分ほど前にさいたま新都心駅に到着。電車を降りるとやはり同じように改札に向かう外国人がチラホラ。改札を出ると、チラホラどころではありません。夫婦らしき2人組から数十人の団体まで、もう外国人だらけ。それほど、このイベントは世界中から注目されているのです。ただしここはバスケ後進国・日本。ここから会場にいた約6時間の間に、日本のバスケが抱える問題点をいろいろ目の当たりにすることになります。

買ったチケットは自由席のため、上のほうまで階段を上って会場入り。持ち物検査は結構テキトーでした。入ってすぐ両脇に売店があったので食べ物を見てみましたが、これといったものはなく値段も高め。やはりスポーツ観戦の際は、飲み物と食べ物はあらかじめ用意しておいたほうがいいですね。
で、「一応他の売店も見てみるか」と廊下を一周したんですが……その他は全部閉店。っていうか、そもそも人がいません。決勝やアメリカ戦のある日ならまた違った状況だと思いますが、自由席はあまり人が入らないんですね。だから売店も開いていないのです。中に入ってみたら、案の定自由席はガラガラ。観客は、入場口を入ってすぐのエリアに集中していました。
それにしても大きいアリーナです。世界選手権をやるには十分すぎるくらいですが、それほど立派なアリーナを残念ながら生かせていません。自由席だけでなく指定席も空席が目立つのです。「想定の範囲内」というヤツではありますが、かねてからファンの間で話題になっていた「PR不足」が、現実として目の前に現れたわけです。チケットの値段のわりにはよく入ったほうだという気もしますが、あれじゃバスケに興味のない人は来ませんよ。この機会にバスケの認知度を高めたいという意識はないんですかね?

そんなことを思っているうちに時間は午後4時半、第1試合のスペイン対リトアニアが始まりました。両チームとも母国からの応援団がすごいですが、ゴール裏に陣取った2~300人くらい(?)のリトアニアサポーターは特にノリノリです。Legendの観客でもあんなに大騒ぎしてるかどうか。
でも、それ以外はとっても静か。日本人の観客はただ観ているだけです。ま、これも予想通りというか、いつも通りというか……。なんせ、コート上の選手やコーチの声もしっかり聞こえてくるくらい(もちろん何を喋ってるかはわかりませんが)。一番上のほうの席に座っているのにもかかわらず、です。
ところで肝心のゲームの中身はというと、「スペインはゲーム運びが安定してるなぁ」という印象でした。スペインが地味ーな部分で強さを発揮して、リトアニアは普段のバスケをさせてもらえなかったというところでしょうか。3Q早々にダブルスコア近くまでいってしまい、ゲーム的に大きな盛り上がりがないまま終わったという感じでした。
地味なんですが、アリウープなど時折スーパープレイを見せるあたりがさすが。そういう時ばかりは日本人の観客も盛り上がってましたね。でも、そういうスーパープレイが飛び出してもリプレイを流さないから確認できない。せっかく大きいモニターがあるのに有効活用しないのは、経費削減でしょうか? それではファン無視という気もしますが……。スコアボードも上のほうからだと見づらかったですね。得点だけでももう少し大きく表示してほしかった。
あと、パウ・ガソル(NBAメンフィス)やファン・カルロス・ナバーロ(FCバルセロナ)が良いプレイを見せると「キャー」という黄色い声も。スペインの試合でこれですから、アメリカの試合だったらと思うと怖くなります(爆)。

1試合目が終わった後、半券で再入場ができるということで、売店が物足りなかった僕は一旦外に出ました。ようやく下のスタンドの入場口まで降りてきたところで遭遇したのは、日本代表の東野智弥アシスタントコーチ! とりあえず握手して「阿部ちゃん、頑張ってるみたいですね」「広島、お疲れ様でした」とだけ言葉を交わしました。
そういえば東野さんは、4年前に北九州で行われた車椅子世界選手権(ゴールドカップ)でも日本代表のアシスタントコーチでした。日本開催の世界選手権で2度ともスタッフ入りした唯一の人なのです! そのあたりの話もいずれ聞いてみたいですね。
その後、負けても陽気に騒いでいるリトアニアサポを尻目に、グッズ売店へ。せっかくなので記念になるものを買おうと思ったのですが……バッドばつ丸というマスコットキャラクターが何とも可愛くない。このキャラが入っているグッズを避け、最終的にいろんな理由をこじつけてトルコのTシャツに落ち着きました。ところが、数日後ヒステリアメンバーのS氏(大会ボランティアに参加したそうです)の口から衝撃の一言が!! 「トルコのTシャツ? タダで配ってたよ」……なんでも次回開催国ということでいろいろ配っていたそうです。調査不足でした(泣)。

露店で空腹も満たし、再び場内へ。2試合目はアルゼンチン対トルコです。これまた両チームとも応援団が盛り上がってます。アルゼンチンサポの中には、エマニュエル・ジノビリ(NBAサンアントニオ)のスパーズユニフォームを着ている人も数人。NBAでもスーパースターですが、やはり母国では英雄なんでしょうね。トルコサポの、指定席組と自由席組のやりとりは面白かった。
ゲーム展開は、こちらもまた前半で差がついたため少々まったりムード。トルコは決して悪くなかったと思いますが、いつの間にやらアルゼンチンが大量リードしてました。やはり技術的な面では見応え十分で、アルゼンチンはパスと外角シュートが特に上手い。ジノビリに関しては、緩急のつけ方が見事ですね。常にフルスピードで自爆気味だった五十嵐圭とはえらい違いです。
それと、タイムアウト中に気になったのは、ダンサーについて。わざわざ海外からやってきた(であろう)彼女達、一部を除いてノリの悪い観衆に囲まれ、どんな気持ちで踊っていたのでしょうか? ま、会場にいた外国人は皆「なんでこいつら、こんなにおとなしいんだ?」と思っていたかもしれませんが……。

こうしてこの日の2試合が終了。正直言って、どちらかだけでも接戦になってほしかったなぁという気分だったのは否めません。しかし「世界」というレベルはひしひしどころかビシバシと感じました。それに、40分間一生懸命応援した4チームのサポも、それに応えるべく奮闘し続けたチームの姿勢も素晴らしかった。良いものを見させてもらいました。
上記した以外にも何かと不満や疑問、違和感を感じることが多かった(特に協会幹部に関して)今大会ですが、それらは大体予測できたこと。たった2試合でも世界のバスケを堪能できて、純粋にバスケを楽しむという意味ではこれ以上ない機会でした。皆さんにとっても、何か特別なものを味わった素晴らしい時間であったことを願います。


bjホームタウンレポート埼玉編・祝10周年!!

2ndシーズンに向けて着々と準備が進んでいるbjリーグ。地域密着が大前提ということで、どのチームも本拠を置く県内で20試合のホームゲームを戦うわけです。僕は昨シーズン、どうにか全6チームのホームゲームを見ることができました。来たるシーズンも8チーム全てのホームゲームを見るつもりです。
で、昨シーズン僕が最も多く足を運んだのは埼玉でした。メイン会場の所沢市民体育館は僕の自宅から45分程度で行けるとあって、他の会場に比べると取材に行く機会が多く、春日部での2試合とさいたま市での1試合を含めて実に11試合も見てしまいました。
そんなわけで、今回は埼玉ブロンコスのホームゲームを振り返ってみます。

埼玉ブロンコスのそもそもの始まりは10年前でした。旧日本リーグ所属のアンフィニ東京が廃部となり、所沢を拠点とした市民球団として生まれ変わったのがスタートです。中心となって立ち上げたのはアンフィニOBの成田俊彦氏(現GM)。その後実業団リーグを勝ち上がって、市民チームでありながら特例でJBLに参戦。やがて新潟アルビレックスと手を組んでbjリーグ参画となるわけです。
JBL時代は資金不足で宣伝活動もままならなかったのだと思います。埼玉県内での試合も年々増やしていったのですが、集客面ではかなり苦労していました。JBL最終年の04-05シーズン、地元所沢での日本リーグ(2部)セミファイナルですら、集まった観衆は数百人にすぎなかったのです。機構に金を吸い上げられてチームには還元されないJBLのシステムでは限界があったわけです。
いざプロリーグ参戦となると、チームとしても気合いが入っている様子がうかがえました。一旦全選手を手放し、JBL日本リーグからbjに挑戦した選手を中心に編成し直しました。前年から残ったのは安藤毅と中西恒彦の2人だけ。その結果、日本人戦力はbjでも新潟に次ぐレベルになり、そこに元NBAのデービッド・ベンワー(僕は未だにベノワと言ってしまいます)も加わって戦力は整った……はずでした。
開幕直前になると、所沢駅前と新所沢駅(体育館最寄り)前の商店街に、緑色のバナーが掲げられました。体育館までの通り道でも店にポスターが貼られていたり、試合当日には新所沢駅の改札前でスタッフがビラを配ったり、できる範囲で告知はしているように思われました。また、地元埼玉で世界選手権が行われるとあって、ブロンコスはそのPR活動も行いました(bjを敵視している日本協会はこの事実をどう考えているのでしょうか)。
そしてホーム開幕戦、所沢市民体育館には2600人が集まりました。とはいえこれは、杉山清貴が来場してサポートソング「THIS IS LIFE」を歌ったことが大きかったかもしれません。実際これは僕も感動しました。しかしその後は低迷します。せっかくホーム開幕戦で新潟に勝利(チーム創設以来初)したにもかかわらず、そのお客さんを引きつけるまでには至らず。1000人を切るゲームが続き、他チームに後れを取りました。 その状況に変化に見え始めたのは、岐津知平氏をスタッフに招聘したことが理由に挙げられます。彼は、新潟で現場マネージャーからGM補佐まであらゆる仕事をこなした人。チケットのさばき方からスポーツドリンクの作り方まで、何でも知っているのです。彼以上にプロチーム運営のノウハウを持っている人物は、日本バスケ界にはいないかもしれません。
そんな彼の努力もあって、僕が見に行く度に観客数は増えていきました。量だけでなく、質も徐々に変化したように見受けられます。静かに見ている人がほとんどだったのが、ワンプレイごとに一喜一憂するようになったと感じました。成田氏によれば、ブースター同士のつながりもどんどん広がっているとのこと。チームのキャッチフレーズ「絆」が明確な形になってきているみたいですね。

客席の様子が変わってきたのは、チームの上昇も大きな理由の一つです。
仙台戦で2勝目を挙げた後、泥沼の連敗街道にはまってしまったブロンコス。ベンワーの戦線離脱が大きな痛手だったのは言うまでもないですが、戦術が機能していなかったり選手同士のコミュニケーションが不足していたり、いろいろと問題があったのも事実。コーチからプレイヤーに復帰したチャールズ・ジョンソンも年齢には勝てませんでした。
そこで登場するのが庄司和広選手。解散したJBL福岡からbjに乗り込んできた、元日本代表の実力者です。そして、プロの先駆者・新潟で5シーズンを過ごしてきたプレイヤーでもあります。ついでに言うと、岐津氏とは北陸高校の同期で、大和証券と新潟でも共に戦った腐れ縁。その庄司が、チームを少しずつ変えていったのです。
彼はまず、チームに専属通訳を連れてきました。それまで通訳を務めていたのは青野和人選手。練習でも試合でもゼーゼー言いながら必死に外国人コーチの言葉を訳していたわけですが、通訳業から解放された青野選手のパフォーマンスは見違えて良くなりました。プレイに集中できる環境を選手に与えることは、これほどまでに大切なことなのだということです。
コート上では、チームプレイの重要性を自らのプレイで示しました。持ち前のオフェンス力を発揮するのは4Qだけ。3Qまでは、他の4人が少しでも確率の良いシュートを打てるようにとパスを回していました。次第に、マーカス・トニーエルの1on1に頼りがちだったオフェンスはボールが動くようになり、外国人がボールを離さず強引にシュートに行ってミスという悪いパターンが減りました。
そして3月3日の仙台戦、4Q残り1分で6得点を挙げた庄司の活躍で連敗を19でストップ。その日1000人だった観客数が翌日は倍以上になりました。何より、勝利という結果が出たことは大きく、チームの雰囲気は変わりました。それまで出番に与えられなかった安藤毅が本来の力を発揮し始めスターターに定着、安齋竜三も入籍した日に大阪を破る立役者となりました。確実にチームは上向いたのです。
三木力雄テクニカルアドバイザーが「庄司効果は大きいですね。他の選手は彼から学ぶことが多かったと思いますよ」と語ったように、庄司のアドバイスやバスケに対する姿勢は、プロ1年目で決して経験豊富とは言えないメンバーに少なからず影響を与えたでしょう。

残念ながらbj初年度は最下位に終わったものの、庄司加入後の5勝で手応えを感じたチームは、ドラフト指名よりも既存選手のプロテクトを選びました。昨年とほぼ同じメンバーをOBの山根謙二氏に託し、走るバスケットで上位進出をうかがいます。就任会見当日の公開練習も前年に比べると非常に活気があり、若い選手がアグレッシブに走り回るスタイルになりそうです。
経験豊富な庄司やベンワーに加え、得点源のトニーエルとも無事に再契約。bj2年目の台風の目になることを期待して、所沢に足を運びたいと思います。


怒涛の8月シリーズ – なんトラ68

ようやく関東地方も梅雨があけました。
あと残るは東北地方だけのようですね。
やはりじめじめしているよりは、夏は夏らしく、カーッと晴れている方がボクとしては好きですね。なんてったって8月生まれの獅子座でO型なのではっきりしているのを以って良しとする性格ですから。ハイ。
 そして今年の誕生日にはついに3度目の成人式を迎える歳になるわけで、よう生きてきたなと吾ながら感じています。
でも、子供の頃から30代くらいまでに今のボクの歳の方をなんとはなしに観察してきましたが、ボクの今の精神状態より、もっともっと大人だったような気がしてなりません。まだまだ修行が足りんのでしょうな。全力でもっとトライせねばいけないのですね。
 
 そこで、この夏はスケジュールをフルに入れてしまいました。
などと言うとかっこいいのですが、フリーランスの身にとっては来る仕事はどんなものでも断らず、楽しんで行こうという主義を貫き通したら凄い事になってしまいました。もっとも雄彦御大から比べればどうってことない量なのですが、喜ばしいのはかなりの数のケイジャー(バスケのプレイヤー)に会える事です。
 8月1日から7日までは大阪インターハイの取材。
 途中の4日の夜はスカパーの世界選手権特別生番組が東京であるので帰京して座談会をして、翌朝一番で大阪に戻り、また取材を続行します。
 5日の夜には四国の香川の高松へ入って、
 6日の朝からファイブスター・バスケットボール・キャンプです。
 7日の午前中には大阪に戻り、インターハイの決勝を取材します。そして夜には東京に帰ります。
 13日は地元・狛江(東京)でのファイブスター・キャンプがあります。
 そうこうしているうちに世界選手権の本番が目の前に迫ってきます。幸せな事にアメリカチームを中心に解説を…ということなので、
 17日には札幌入りすることになっていて、19日から予選リーグの解説が始まります。
筑波大のヘッドコーチの吉田健司さんと交代で解説にあたりますが、吉田さんもチームを見ている関係もあってボクが1日に3ゲームする日もあるようです。
 23日に予選リーグが終わり、翌24日に帰京。
 25日からさいたまアリーナでの決勝トーナメントとなります。
 しかし、ここでまた27日に一宮(愛知)でファイブスター・キャンプです。26日の夜に一宮入りし、キャンプ終了後にとんぼ返りするのです。
 28日から9月3日の決勝までは埼玉に詰めっきりです。

 自分で書いていても疲れますが、読んでいるみなさんはもっと疲れるのではないかとおもいます。インターハイ、キャンプ、世界選手権で大雑把に会えるバスケ関係の人の数を数えてみると2700人位になるんでしょうか。皆と話すわけじゃあないけれど、凄い事になっちまいました。ホント。こんな仕事が本当のHOOPHYSTERIAっていうんでしょうな。

 このなんトラ68がアップされるころには“怒涛の8月シリーズ”に突入しております。もし、ヘロヘロになっている島本を見かけたら滋養強壮ドリンクなんぞを1本恵んでやってくださいませ。同じドリンクでもモット利くのがあるぞ、という方はそれをお願い致します。

 それでは…生きていたら次回の「なんトラ」までSee You!。