2006夏。怒涛シリーズの感想① – なんトラ69

 何とか怒涛の8月シリーズ全うして生還しました。

 大阪インターハイ、ファイブスター・キャンプ、世界選手権で沢山の方々にお会いし、またいろいろお世話になりました。皆様方のお陰で何とか乗り越えられたような気がします。旧知の方、また初めてお会いした方、皆バスケが大好きな方々ばかりで“元気玉”を沢山いただきました。だからでしょうね、こうして元気でいられるのは…。

 さて、世界選手権はいろいろなものをボクに与えてくれました。特に印象に残っているのは札幌に来ていたスロベニア応援団の50代の偉丈夫たち5人です。

日本vsパナマ戦の日にスポーツバーに行った時に会ったのですが、一緒に行った下田アナウンサーとワンプレイ、ワンプレイに興奮しつつ大騒ぎしながら見ていたら、隣の席にいた彼らも日本を応援するではないですか。ビックリするとともに、何時の間にやら声を掛けあったりハイファイブしたりで、一体感が生まれてしまったのです。おかげさまで日本が勝ち、皆で大喜びしながら“かんぱ~い”となったのは言うまでもありません。

そこから交歓がはじまりました。彼らの札幌へ来たコースを聞いてぶったまげました。リュブリアナ(スロベニアの首都です)からロシアのモスクワに飛び、そしてサハリン(樺太)のユジノサハリンスク経由で札幌入りしたというのです。おそらく日本人の発想の中にはこのコースはまず出てこないでしょう。費用はチケットこみで40万円位と言っておりました。貨幣価値からすればかなりの高額のはずで、よく日本に来たものです。みな、今でもバスケを続けてやっており、なかのひとりはヨーロッパ選手権にも出たといっていました。「どうりででかい筈だわ」と、思わず納得したものです。

彼らからも質問がありました。「今回のスロベニアチームをどう思うか?」というものです。良いチームだと思うけれどちょっとソフトかな? というのがボクの答えでしたが、昔のチームを知っているか? と聞くので自分の経歴、つまり月刊バスケを編集していたから知っているというと1978年のマニラの世界選手権や1976年のモントリオールオリンピックの話がどんどん出てきました。
昔のチームということはユーゴスラビア(旧)という国のことですが、いまや4つの国に分かれて独立しているので非常に複雑です。前出のスロベニア、そしてクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア・モンテネグロという風になっています。2007年にはセルビアとモンテネグロが分かれて5つになるというのですから日本人の思考の範疇を超えている民族性の問題といってよいでしょう。
そこで、元はひとつの国だったのでクロアチア出身のジェリコ・パブリセビッチが見ているチームの日本を応援してくれたということも合点したわけです。

 モントリオール、マニラあたりの選手は素晴らしく、時代が時代ならNBAも当確のプレイヤーがいたので、チョロチョロっとドラガン・キチャノビッチのゲームコントロールは素晴らしいとか、クレシミール・チョシッチやドラゼン・ダリパギッチは凄い支配力だったと話したら、もう、満面笑みで大喜びの大歓声。こんな話は日本では絶対にしないし、キョトンとされるだけですが効くところでは効くものですなぁ。
 彼らは極東のはじっこの日本でそんな名前を聞けるとも思っていなかったようなので大受けに受けました。
 雑誌の編集をやっていてよかったなぁ、と幸せに思う数少ない瞬間でした。

翌日からは会場で会うと必ずあいさつはもちろんのこと、一緒に来ている応援団の人を紹介してもくれました。本当に良い交歓ができたと世界選手権に感謝感謝です。

嬉しい気分が消えないうちになるべく早くなんトラ70を仕上げます。そのときまでSEE YOU!