初体験、台湾式ウェデイング・バンケット。 – なんトラ150

 “他所ん家(よそんち)のうちの子”アンジェラの結婚式で台湾に行ってきました。正式には台中(タイチュン)に行ってきたのでありまして、今回で5回目の訪台となります。大体の所は今迄で行きつくしていますので、ひたすら我が家にステイしたアンジェラの友人の連れて行ってくださるところについて行くという、ラクチンな旅でございます。
 
そもそもが東京からは3時間半くらいですし、九州だったら2時間くらい、沖縄だったら1時間半で行けるそうです。だから疲れも感じませんし、食べ物も合うので日本人にとって一番近い外国と言っても良いと思います。
そのうち、まず台湾に行って船で八重山諸島に行き、沖縄本島にも行って帰ってくるなんてのもやってみたいものです。この逆もあるような気がします。

 ある意味では第2次世界大戦前の日本歴史の中では植民地だった台湾なので、難しい事情を抱えているはずなのですが非常に親日的であります。というのは細かい所ではいろいろと問題はあったのでしょうが、当時の日本の政策が非常によくフィットしたと言われていて、どこに行っても明るい笑顔で対応してくれる国民性があるのでこちらがびっくりしてしまいます。
 簡単に言えば明治時代の初頭の日清戦争で日本が清国に勝ったことによって台湾は日本の領土になったわけです。しかし同時期に領土となった現在の韓国、北朝鮮への施策は反抗の歴史と言っていいものでしたが、それとは雲泥の差の状況だったのです。まあ、朝鮮半島はいろいろな文化の通り道でしたし、中国に攻められたり、戦国時代に豊臣秀吉が侵略していたりと複雑に感情が入り乱れている歴史があります。

 そこに行くと台湾は大陸政府にとっては端っこの辺境の地、極端な言い方をすればあってもなくてもそれほど影響があるとは思えない野蛮人の住むところ、という印象だったのではないかと推測されるのです。だから変なイデオロギーもなく、日本のやり方が素直に浸透して行ったのかもしれません。
 今のような形になったのは第2次世界大戦後のこと。
元々大昔より住んでいた原住民と、福建省辺りから長い間に渡ってきた人々(本省人)を称して一般的には台湾人というわけですが、ここに蒋介石の国民党が毛沢東の共産党に敗れて逃げてきた人々(外省人)が入ってきてから複雑になったのです。
 日本の統治50年と戦後65年、115年も経つと当然のことながら、
「私たちは良く中国人と言われるけれど中国人ではありません。台湾人です」。
という考え方が出てきます。良く見ると顔つきも違いますしね。香港と台湾は国情が似ていて根底に、何時か中国に攻められ土地も財産も取り上げられるという恐れの上に立った考え方があり、子弟に外国の教育を受けさせて、出来れば国籍も取らせるというギャランティーをつけます。分かりますねぇ。子孫の安全と繁栄を考えるのはどこの国の親でも当たり前のことだからです。

いろいろと考えさせられます。日本はまだまだ幸せな国なのだなぁと思います。
でも、台湾も幸せでした。約200人は出席したこの披露宴、ホテルでやったりパターンはいろいろあると言っておりましたけれど、“女児紅”という紹興酒のメーカーみたいな名前の結婚式場でした。日本であれば客もフォーマルで決めてきますが普段着で来ている人の多いこと。ごく近い親戚のみがそれなりの服装で出席していました。時間的には2時間から2時間半。食事は当然チャイニーズですが新しい感じの軽めの味でした。ですから結構箸は進みます。
その他エンターテインメントとしてのショウはあるはグラヴィアから抜け出たような写真が飾られているは日本とは本当に趣を異にしています。最近は日本も大分影響されてきてフォトブック見たいのも出てきているようですけれどね。

隣の会場でも同じような式だったようですが、入り口に皆のサインをするボードがあったり、小さなカードがプレゼント用においてあったりしました。誰もフロントにいなかったので、ちょいといたずら心を起こしてカードを貰い、サインをしてきました。あとで「だれだろう」と首をひねっているでしょうね。そういえば、誰だか分からない名前がアンジェラのほうにもあったようです。こちらはお金を置いて言ってくれたそうですがね。
次回の“なんトラ”も台湾レポートになります。SEE YOU SOON!