今まで大変お世話になっているNBA。これは勝手に私がそう思っているだけなのですが、バスケットボールをプレイしていなかったのに何故だか私をめったやたらと夢中にならせてくれたからなのです。その夢中になった理由は簡単。
「何故、あんなことが出来るんだ? 何故、あんなところに手が届くんだ?」
という思いでした。それと、
「仕事とは言え、何故われわれメディアにあれほどの詳細なデータ(写真や記録集など)を提供してくれるんだ?」
という思いだったのです。両方とも完全に自分の生きて来た中での経験値のなかにはありえない行動? だからだったのです。前者で夢中にさせられ、後者で資料を手にして熱中させられた結果、今日の私が出来上がったと言ってよいでしょう。
さて、忘れもしない1987-88シーズン、取材でLAレイカーズのPRディレクターのジョッシュ・ローゼンフェルドに会ったときのことでした。当時、日本からNBAの取材のために訪れるメディアなど1社たりともありません。LA駐在の新聞社の記者などもベースボールには行ってもバスケなど見向きもしません。日本での需要がないから当然と言えば当然です。
そんな状況の時ですから、彼は“何をしに来たんだこの東洋人は?”と言うような顔つきをしながらギロっとにらみ「What can I do for you?」(俺はおまえさんのために何ができるんだ?)と言うのです。
わたしはすぐその場で10項目くらいの要求を書き出しました。NBA全チームのロゴ、コーチとプレイヤーの写真、これまでの全記録の載ったメディアガイド、各チームのメディアガイドETC…。
すると、そのリストを見たジョッシュは5分程でダンボールの箱に資料を一杯入れて戻ってきて「この2つのチェックした物は明日渡す。後は全部揃ったよ」ときたもんです。ビックリしました。その資料の山を見たとたん私は「こりゃあ、月刊バスケ2、3年分が出来る程の資料だ」と思ったものです。今考えてみるとそれを完全に使いこなすには10年くらいかかってしまいましたが…。
ともあれ、それ以来レイカーズの取材に行くたびにジョッシュと連絡を取り合い、彼の好きな寿司を食しつつ、飲りつつNBAの話をしたものです。もちろん、ブロークンでですがね。後に彼は、ジャパン・ゲームスの時にはレイカーズからNBAにトランスファーしてインターナショナルのPRディレクターとなって来日しましたので、さらに関係は深くなり、心友と読んでも良い関係になりました。
まあ、こんな形で夢中になり、熱中し、現在はNBAブログというNBA JAPANのホームページ内にあるコーナーに書くことに集中しております。冒頭に書きましたように少しでも今までのお世話になったことに対するお返しが出来ればということなのです。
そして、NBA JAPANのPRスタッフの方に教えてもらったNBAブロードバンドというものでゲームも視るようになりました。ここのところNBAの解説がなくなって仕事で見る機会が少なくなっておりましたので本当に重宝しています。一番の私にとっての刺激は英語音声で聞くこと、そしてアメリカのCMを見れることです。何が流行っているのかが良く分かります。
ぜひ、nba.com japan を覗いてみてくださいまし。
ウォリアーズのチアリーダーの五十幡佳美さん、bjの仲西淳君、そして田臥勇太君その他専門誌の編集長が書いています。私も今までの仕事でどんなトライをしてきたのかを、つれづれなるがままに書いておりますので…。
それでは次回の“なんトラ”まで、SEE YOU!