毎年のことではありますが、今年のキャンプは8月3日が香川県の三豊市高瀬町、翌週の日曜の10日が東京の地元狛江、そして24日が愛知県一宮市でファイブスターキャンプでございます。子どもたちの活発な動きに暑さも吹っ飛び、たくさんの元気を貰っています。バスケの楽しさを少しでも伝えられればと思って継続していますが、楽しければ長続きしますし、キャンパー皆が“夢中・熱中・集中”してくれれば良いのです。
 家にいても甲子園の高校野球はあるし、今年はさらにオリンピックイヤー。北京からの報道も大量に押し寄せてくるし、そのなかでもバスケはしっかりチェックしておきたいし、まさにスポーツ三昧の夏でした。
 
さて、普段はあまり見ることのない高校野球もチャンネル・サーフしていたら聞きなれた応援歌の“若き血”が流れてきたのです。“若き血に燃ゆる者”で始まり“陸の王者慶応”で終わる有名な曲です。「ありゃ、慶応高校が出てるんだ」などと思いつつ思わず1試合をしっかり観てしまいました。結局、塾高は(慶応の卒業生はこんな言い方をします)ベスト8まで行きましたが古豪が勝ち上がるというのは、なんとなく安心できるものです。まあNBAで言えば、ボストンがプレイオフで勝ち抜いてきたというようなものでしょうか。
ボク自身の出身は違いますがまわりにはけっこう慶応出身者がおりまして、父親(野球)とその弟(剣道)が普通部から行っておりましたし、中学の時の家庭教師でのちに叔母の旦那さんになった方も中等部からで応援指導部(他校で言う応援団)でしたのでよく応援歌、ファイトソングを聞かされて育ちました。まあ、慶応義塾の事情通(?)というような感じになっておりました。
特に詳しくなってしまったのは1960(昭和35)年の時でした。前記したように叔父が応指の特権をつかって、ボクを春、秋の六大学野球のリーグ戦に毎週のように連れて行ってくれたのです。慶応の試合のある時は必ずと言って良いほどでしたから対抗戦の楽しさ、面白さを中学の2年生ながら、いやというほど叩き込まれたような気がします。
慶応は言わずもがな早稲田、明治、法政、立教の校歌、応援歌は自然と覚えてしまったものです。でも、東大のは全然思い出せません。やはり縁がなかったのでしょうね。

 さて、この秋は最終週の早慶戦(慶応側は慶早戦といっています、そして春秋のリーグの最後は必ずこの両校の対戦に決まっていますがリーグ創設に大きな貢献をした両校を讃えたものだそうです)を前に慶応8勝2敗で勝ち点4、早稲田7勝3敗で勝ち点3という状況で1、2位の対戦だったのです。優勝の可能性はこの2校に絞られていたのです。
 慶応が2連勝か2勝1敗で勝てばすんなり優勝。早稲田が優勝するには連勝、または2勝1敗で同じ勝ち星、勝ち点が同率にし優勝決定戦に持ち込んで勝つ以外になく、慶応よりかなり厳しい条件でした。
 その闘いの跡は1回戦(11月6日/土曜)は2-1で早稲田。2回戦(7日/日曜)は4-1で慶応。3回戦(8日/月曜)は3-0で早稲田。ということになりついに優勝決定戦にもつれこんだのでした。
 そしてその後の優勝決定戦(9日/火曜)は1-1。再試合(11日/木曜)は1日おいて行われましたが0-0。再々試合(12日/金曜)が3-1とようやく雌雄が決したのでした。この6連戦のうち早稲田の安藤元博投手は実に5試合の完投、特に第3戦から4戦連続の完投で49イニング、564球を投げ抜いたのです。この6連戦には連日満員の観客が押し寄せて計38万人が観戦したと言われています。TVもNHKだけでなく民放も放映して全国の注目を集めたのです。
北京オリンピックでも女子ソフトボールの上野投手がもの凄い力投を見せ感動を呼びましたが、50年近く前にもこのような凄まじい激闘があったのです。
簡単にグレイテスト・ゲームを振り返ったわけですが、まぁ、ボクはこの伝説の6連戦をすべて現場で観たのですからいやでも早慶両校の応援歌は覚えましたし、両校の母校愛に強烈な刺激を受けたものです。

こんな体験をしたことがそれからの自分に影響しないはずはありません。10年後にはスポーツ雑誌の編集者になっておりますし、その流れからかNBAのバックに流れる音楽や、NCAAカレッジバスケットのファイトソングにも大いに興味を持ったものです。思わずの昔話になってしまい失礼しました。
TVから聞こえてきた応援歌と、上野投手の力投が今回の“なんトラ”を書かせたに違いありません。101回目の連載で新たな世紀に突入しました。今後ともよろしくご愛読くださいませ。

それでは次回の“なんトラ”までSEE YOU!