無事帰還いたしました。前半1週間はミュンヘン、シュッツットガルトで主に結婚式を中心に行動。後半1週間はフランスのアルザス地方、ストラスブールの南に下がった“ワイン街道”のColmar(コルマール)とRiquewihr(リクヴィル)に3日いて、後は花の都パリ。
どちらともボクの今までの人生の中には、あまり現れてくるはずのない地名です。だからこそ嬉しい。新たなる体験・体感ツアーなのでした。
ドイツでは友人の家にステイしましたので心配する必要もありませんでしたが、フランスのホテルは日本からインターネットで検索して予約。どうなるかヒヤヒヤものの初体験でしたが、きっちりと予約されていて何の問題もなくスムーズでした。なんとも便利な時代になったものです。
旅というものは、ハプニングや思いもしなかった事柄が知れたなどということが嬉しいものでして、今回はそれまで知りもしなかったコルマールで「へ~っ」ということを知り得たのです。
Gare de l’Est(パリ東駅)からTGV(フランスの新幹線)でStrusburug(ストラスブール)
経由でコルマールまで行きました。さすが鉄道でも日本などより早く作られ、使われていただけあってなかなか便利に出来ています。しかし、それぞれの方向に行くのには全部駅が違います。簡単に説明すると、東駅、北駅、サンラザール駅、モンパルナス駅、オーステルリッツ駅、リヨン駅これで東西南北をすべてカバーしているのですね。日本の東京で言えば渋谷、新宿、池袋、東京、品川などから新幹線が出ているような感じでしょうか?。
他の交通機関より、ちょっと高いのですが乗り心地は良いしのんびりしているのが素敵です。2時間半も乗ればアルザス地方の中心都市のストラスブール、さらに南に20分ほど下るとコルマールに着きます。
まぁ、なんとも可愛い町でした。コンパクトでありましていろいろと入り組んでおりますので、地図を見ながら歩いても分かりにくいことこの上ない状態がず~っと続きました。中世の路地がそのまま残っているのですから当然です。
でもオールドタウンに入ろうとしたところに3mくらいの高さの見慣れた像が建っていました。
「ありゃ、なんでここに“自由の女神”が立っとるんだ?」
東京にも、お台場やラスベガスにも立っているのがあるけどその類かな? などと思いもしましたが、ここはフランス。何か理由があるんじゃなかろうか?。と…。
ホテルにチェックインして分かりました、分かりました。
自由の女神の作者の生まれた土地だったんですね、コルマールは。何も知らずに来た私はなんとも恥ずかしく、穴があったら入りたくなりました。でも、知ることが出来たということで良しとしましょう。
その彫刻家はフレデリク・オウギュスト・バルトルディ。
1834年コルマール生まれで1904年にパリで亡くなっています。アメリカ独立100周年を記念してフランスから贈られ1886年にNYに建てられました。その建立にはエッフェル塔で有名なギュスターブ・エッフェルが携わったということです。NYでは女神像の頭部まで登ったこともあったので不思議な縁を感じました。
パリにもセーヌ川のほとりのグルネル橋のたもとに女神像がありますが、こちらはパリに住むアメリカ人からの返礼でフランス革命100周年の記念に贈られた物のようです。
さて当然のこととしてこのコルマールには“バルトルディ美術館”が町の中心にありました。それを見ずしておめおめと日本に帰れるものではありません。しっかり拝見して来ました。日本ではあまり有名な作家ではありませんが(勉強不足の私が知らないだけかもしれない?)、聞いたことのある有名な彫刻の作品名がずら~っと並んでおりました。ベルフォアのライオン像の試作からの制作過程の作品などなかなか迫力十分でしたし、小説“ローマ人の物語”の初期に出てくるガリア(フランス)人の英雄のアルチンジェトリクスなども製作しているとあって、かなり親近感も沸いたものです。
旅というもの、は思ってもみなかった物に遭遇するというのが醍醐味のひとつであると書きました。そんな面ではバルトルディという人物に興味を持てたということは、大変大きなインパクトであると思えます。“台場の女神”(と呼ばれているそうです)を含めてLady Liberty
がますます好きになりました。2001年の9月11日依頼公開されていなかった女神も全面的にOKになったようです。またNYに行きたくなってきました。
それでは次回の“なんトラ”でまたお会いしましょう。SEE YOU!