◆「私が退室する時に『また会おう』と言った。それが彼を見た最後だった。私は決して忘れない。この賞を受賞することはとても光栄だ」(ヒート社長のパット・ライリー)
チャック・デイリー賞を受賞して09年にデイリーを病室に見舞った時を思い出して。同賞は全米コーチ協会が選考する。「デイリーはいつもこざっぱりとしてスタイリッシュだった。私たちは服装についてあれこれと話すのが大好きだった」
◆「彼の存在はチームにとって大きい。コーチとして、エグゼクティブとして多くの経験がある」(ヒートのレブロン・ジェームズ)
「チャック・デイリーはいつもライリーのことをベストの中のベストだ、と賞賛していた」(マーベリックスHCのリック・カーライル)
チャック・デイリー賞を受賞したパット・ライリーを賞賛して。カーライルはデイリーの下でアシスタントを勤めたことがあった。
この2つの文章は私がお世話役をさせていただいているバスケ好きの仲間の集まるHOOPHYSTERIAというサークルで、毎月発行している会報BULLETINの今月号のQUOTEという企画の中のものです。NBAをはじめNCAA、そして日本のバスケと、あらゆる興味のある題材にはかなり突っ込んだ内容の企画の原稿があります。すべて、メンバーの皆さんが一生懸命に調べて書いてくださっています。
そんな中に書かれたチャック・デイリーとパット・ライリー、80年代から90年代にかけてのNBAはこの2人を抜きには語ることは出来ません。
まず、パット・ライリーがレイカーズのショウタイム・バスケットボールをマジック・ジョンソン、カリーム・アブドゥル=ジャバーらを中心に確立させました。1980、82、85年に優勝。そしてその全盛期が1987、88年のバック・トゥー・バック(2連覇)です。
僕にとってはその他のノーム・ニクソン、ジェームズ・ウォージー、マイケル・クーパー、AC・グリーン、カート・ランビス、バイロン・スコットなどの名前は資料を調べるまでもなくスラスラと出てきます。みな華やかでアスレティシズムにあふれていましたね。
そんな中でもヘッドコーチのライリーは本当にカッコ良かった。いつもアルマーニのスーツでビシッときめて金髪をオールバックにした姿は惚れ惚れと見とれていました。チャック・デイリーが「ベストの中のベストだ」と絶賛して当然だと思います。
このデイリーの発言には2つの意味が含まれていたものと思われます。1つは勝利の方程式を確立したこと。もう1つはそのファッショナブルさだったと思います。
プロはプロを知ると言いますが、このチャック・デイリー、第2次世界大戦に応酬されていますが、その戦後の占領時の日本に来て軍の仕事をしていたのがその理由です。
彼はものすごい日本通であり、日本人の真面目さや器用さを良く知っていました。オリジナルドリームチームを率いて金メダルを奪還したあと、1993年に“チャンピオンシップ・キャンプ”で日本の高校生に指導のため来日しました。
その時に「今日の日本の自動車や家電、ITの発展は予想通りだよ」と言ったのです。ですから「なぜ、そんなことが分かったのですか?」と聞くと「僕はおしゃれが大好きで日本に駐留していた時、カシミヤのスーツやコートを良く誂(あつら)えたんだ。何しろ1ドルが360円位だったから20代の僕の軍の給料で無理なく作れたんだ。その時に日本人のテイラーの職人のすばらしい技術に触れたんだよ、だからなのさ」と答えたのです。
確かにライリーほどのスタイリッシュさはなかったものの、質の良い上品なしつらえのジャケットをいつも着ていましたっけ。
レイカーズが勝った後、次はデイリーのバッドボーイズのピストンズのバック・トゥー・バックでした。アイザイア・トーマス、ジョー・デューマース、デニス・ロドマン、ビル・レインビアー、ジョン・サリー等の個性あふるるプレイヤーをチームとして機能させる手腕は見事でした。
おそらくパット・ライリーが年上であれば「デイリーこそベストの中のベストだ」といったに違いありません。同じ嗜好を持った二人の戦士の縁と友情は深かったのですね。
嬉しい話です。二人の名前が出たとたんにデイリーのインタビューの内容を思い出しました。こんな友情もあるんですね。
それでは次回の“なんトラ”までごきげんよう。