大阪へbjの解説でいってきました。
なんだか違うな、と思ったらすご~く明るい。いっぱい照明がついていました。看板も、ネオンもね。
東京の薄暗さにもう慣れてしまったようですね。今回は、1泊だけだったのであくる日に狛江に帰ってきたのですがなぜだかホッとしている自分がいました。まぁ、そんなに明るくなくても人間、大丈夫のようです。
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なんだかすべて控えめに控えめにというのが、日本中に蔓延しているような気がしますが関西はそうでもないのかもしれません。
でもそれは一月以上経ったからだと大阪在住の友人は申しておりました。やはり、大地震&津波の直後は街から人の影が消えていたそうです。
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さて、日常生活や、人の人生など良いことばかりがあるわけではないと誰でもが分かっているのだろうけれど期待してしまうのですね。
先日、わが家を訪れた友人が言っておりました。
彼女の家にはお母さんが健在で現在97歳。われわれの年代の両親としては少し上かなというお歳です。
そのおばあちゃまが毎朝、新聞を読んだり、テレビを見たりするたびに言うそうです。
「こんな悲惨なことが続くと、長生きはできないねぇ」……と。
それを聞いていた11歳のひ孫は「十分長生きしてるじゃん、おばあちゃん」と言ったそうですわ。
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また、テニス仲間からは次のようなメールが入りました。
皆 様
東北地方が、地震や津波、原発の放射能漏れなどの被害もあり大変なことでございます。
ご親戚の方などで被害に遭った方はいらっしゃらなかったでしょうか?
私の方は、青森の八戸に単身赴任中の甥(姉の息子)の安否がつかめず気を揉んでいたところ。今朝になって本人より、無事とのメールが入り、ひと安心しているところです。
勤務中に地震に見舞われた彼は、2日半停電で真っ暗闇の会社に閉じ込められ、今朝ようやく電気がついてテレビを通じて、世の中で起こっている事を初めて知ったそうです。
会社も車も壊滅状態とのこと。
彼は阪神淡路の震災でも姉の家が全壊した経験を持ち、数年前には、久しぶり上京した彼を囲み横浜の高層ホテルで会食中、かの中越地震に見舞われ、シャンデリアが頭上から落ちんばかりの揺れに。
私は生きた心地がせず、「もうあなたは東京に来ないで頂戴」と言ったほどです。
それが今度は単身赴任中の八戸で史上最大の地震の被害に会うとは、よくよく“地震にとりつかれた”男です。
おまけにもうひとつ、彼の父親(姉の夫)が関東大震災の被災者だったとは、ちょっと出来すぎた話でしょう?
そんな訳で、昨日はテニスのプレイ中、安否を心配する兄達から、何度も私のケータイに着信があり、プレイ中のお仲間に大変ご迷惑をおかけしたことをお詫びします。
こんな非常時にテニスに興じる私にも問題ありですが…!
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いろいろあるものです。ボクの育った町・北品川の生んだ唯一のスター島倉千代子さんではないけれど“人生いろいろ”です。今回のようなことがあると、つくずく一瞬の運と縁が大事だなぁと思わされます。
運と縁をつかめるように頑張りましょう。ここでは頑張るという言葉を使ってもいいんじゃないかと思います。
いや、また自粛気味かな?。
それでは次回のなんトラまで「ごきげんよう」。