10年前、2001年の今頃足の怪我で慈恵第三病院に入院していました。
理由はテニスのゲーム中に逆サイドへ走ろうとした時に「バシッ!」っと、左足首に何かぶつかったように感じたのです。そして転倒。ボールでもぶつかったのかと思いましたが何も形跡がありません。立とうとしたら左足に力が入らずまったく、立てないのです。後で腱の断裂経験者に聞くとみなそんな状態のようなことを言っておりました。
直ぐ様、近所の整形外科に行って診察して貰ったら「アキレス腱断裂」という診断が下り、そこでは手術が出来ないので慈恵医大を紹介されたわけです。大学病院でも同様な診断。この日は水曜日で、外科の手術日は終わったので翌週に手術ということになったのです。病室も空いていないし翌月曜に入院ということになりました。
何しろ足首がブラブラしてはいるものの全然痛くないので、ただ家で静かにしている日が続き月曜日を待ったのでした。そして水曜日に手術。当日と翌日は痛みが残りましたが以後はひたすら自然治癒を待つばかりでした。
さて、前置きがながくなりましたが、実はまた同じ時期に入院をしてしまいました。
なんトラ150を書き終えたあと、2月16日か17日には台湾ツアー第2弾を書き上げて送稿しようと思っていたのにこんなに間が空いてしまいました。すみません。
台湾より帰国以来、何故か身体がだるい日が続いていたのでファミリー・ドクターの所に診察して貰いに行ったのです。Yドクター、パッと見て「鏡で自分の目を見てください、かなり黄色いでしょ。ちょっと大学病院に行って検査してもらいましょう」と来ました。
予約を入れその日の午後内科の外来に行って血液と尿の検査をしたらドクターから宣告されました。
「即、入院です!」
肝臓の数値がかなりひどく、黄疸症状も出ており、
「これでは、かなりだるいでしょうね」。
まぁ、こういうときに限っていろいろと重なって来るもんでして、年に一度の大仕事“確定申告”もある。そして毎月のルーティンとしてのHYSTERIA会報bulletinの編集もある。さらに、翌週の22日(火)には地域で初の総合型スポーツクラブの設立総会&懇親パーティーの最後のツメもある。という具合なのです。
この総合型スポーツクラブというのは文部科学省が提唱して、全国の市町村にひとつはスポーツと文化のコミュニティーの拠点として作ろうというものです。行政と民間のスポーツ関係者が集まって構成するという、今までボクが勉強してきたことがすべて注入できるという興味深いものです。初期の頃からかかわって立ち上げに力を注いできただけに何とか責任だけは果たしたいという思いは大きかったのです。しかし、体調がこんなでは背に腹は変えられません。
パーティーの運営を手伝ってくれる若者にお願いしひたすら安静な時間を持つようにしました。ドクターに言わせると、ヨコになって肝臓に血液が行くようにするのがベストということなのだそうで、仰せの通りにしたのです。
外科的な処置と違って内科系の対応は幅が広く大変で、毎日検査検査の連続で、その数値により判断するわけなのです。幸い、日を追うごとに良くなっていったので片付けなければならない申告の資料を持ってきてもらってどうにかかっこつけたり、読みたいと思っていた本をどんどん読んでいきました。
こんな状態になってみて初めて気がつきました。ただただ目の前のことを片付けようと必死に突っ走ることのみの人生でしたので、どうも、10年毎に少し休みなさいと神様に言われているような気がします。三度目の成人式の後はとくに身体のいろいろなところに不都合が出てきていますので、ゆっくりとそれらに対応しながら生活していくとしましょう。致命的なものが出てからの対応では、いままでの倍以上の時間がかかりそうですのでね。
それでは次回の“なんトラ”までごきげんよう。