今頃こんなことを書くのも気が引けますが、私も流行のミクシ(mixi)なるものに登録しております。べつだん自分の恥ずかしい行動や、どう考えているかなどということを他人に知らせることもないと思っていますので日記は書きません。ただただ若き仲間がどんなことを考えているのかとか、何をやっているのかというのをじっと遠くから眺めております。
私の若き友人もそれぞれ個性が違うので表現の仕方は異なりますが、なかなかみんなしっかりした考え方をもっているようですし、日常に起こることをきめ細かく書いています。こういう行動は良き文章を書く訓練にもなりますし、なかにはときどき、ハッとするような文章や、ここまであからさまに書くか? というものもあり、読ませて貰う側の勉強にもなります。
編集者を長くやっていたおかげで文章に才能のある人はすぐに解かるような気がします。たいていは好きだけで書いていて自分ではその良さや、面白さに気がついていない人がほとんどです。
良いことか悪いことかは定かではありませんがそんな物をもった人をその気にさせ、チャンスを与えるのが編集者という人間の使命であり、楽しさでもあるのです。
さて、最近その私のmixi友だち(マイミクと言うのだそうです)が書いた日記に、「あらあら大変だったんだな、でも良かったな人間のやさしさを感じることが出来て」と読みながら思わず独り言をつぶやいてしまうようなフレーズがありました。そして人間の世の中、同じようなことを経験する人はいるものなのだな、と思い、感じ入った次第です。
その文章はアメリカの東海岸に行った時の紀行文の中の一部です。ご本人にも了解をとったので載せさせていただきました。
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最後にボストンでの出来事。
ニューヨークに戻る飛行機が早朝だったため、ホテルを6時に出ると外は、まだ真っ暗。ホテル前にもタクシーはゼロ
前日、早朝のタクシーを頼んだら、「大丈夫。すぐに見つかるから。僕も見つけるの手伝うし」と言ってくれたホテルマンの姿はなし
暫くの間、スーツケースを運びつつ道を歩いてると、一台のリムジンが止まって運転手の年配の男性が「乗りなさい。送ってあげるから」と優しい言葉
フッカフカの乗り心地のよい車に乗ると、「スーツケースを押している姿が見えたけど、この時間はタクシーがほとんどいないから大変だと思って。次の客まで時間があったから」。
とーっても嬉しかったです
この運転手さんも、お喋り好き
空港までの20分、ずーっと喋りっぱなし。
こんな風に客を拾ったのは(普段はリムジンの予約のみなので)30年間で2回目で1回目は20年前の吹雪の日に老夫婦を乗せた、とか自分の仕事、ご家族から最近のアメリカの犯罪とその原因、などたーくさん話してくれました。
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ということで無事予定の飛行機には乗れたようで、めでたしめでたしでした。
筆者の彼女はバスケットが好きでNBAのファンでもあり、マイケル・ジョーダンの大ファンでもあるようです。
実は、1984年の10月、シカゴのオヘア空港でも同じようなことがあったのです。
その時は早朝ではなく昼間だったのですが、21歳の青年がノースカロライナからの国内便で到着したのですが誰も迎えに来てはいなかったのです。青年の名はマイケル・ジョーダン。6月末のドラフト3位でシカゴ・ブルズに指名され契約に到ったのですが、そんな時には、ふつう球団関係者が迎えに来ているものなのです。しかし、何らかの手違いで彼はかなりの時間、所在無げに待つことになってしまったのです。まだ、誰もマイケルのことなど知らない頃のことです。アメリカ人としてはちょっと大きいけれどどこにでもいるサイズですから、オヘアの背景に完全に沈み込んでいたのでしょうね。
そんな時、同じように所在無げに待っていた青年がジョージ・コーラー。かれはリムジンの運転手でした。来るはずの客が来ず、連絡の取り様がない状態だったそうです。同病相哀れむ、いや、同類項はカッコで括られるというか、ジョージがマイケルに話しかけたといいます。
「どうしたんだい?」
「うん、迎えに来るはずなんだけど来ていないんだ」
「どこへ行くんだい」
「ブルズのオフィスに行かなければならないんだけど、場所を知らないんだよ」
「オーケイ、前を通ったことがあるから乗りなよ」
「サンキュー、助かるよ」
この後、一気にスーパースターの座に上りつめたマイケルは、恩返しとして事あるごとにジョージのリムジンを使ったそうです。そして、さらにその後マイケルはジョージをプライベートのアシスタント(マネジャー)として雇い、あらゆることをサポートして貰うようにしたそうです。
練習やゲーム以外に行動する時はマイケルのそばには必ずジョージの姿がありました。当然、日本に来たときも影のように寄り添うジョージがいたことは言うまでもありません。
アメリカの黒人選手には多くの仲間や取り巻がいて、どこにもぞろぞろと黒い集団がついてくるといった図が見られるのですが、ジョージの場合は白人、やはりマイケルはちょっと違っていました。
マイケルに直接物事を頼みたい時はジョージに、というのが親しい者の間の常識でした。それほど信用されていたのです。
一人の人間のなにげない親切が、それをした人間の人生を大きく変えてしまったという一例です。運転手さんというのも立派な仕事ですが、マイケルのそばにいるというのだけでもエキサイティングなことですし、成りたいから成れるというような立場(仕事)でもないでしょうからね。
リムジンの運転手ということで思わず思い出してしまいました。筆者を乗せたボストンの運転手さんにも必ず良いことは起こっているんじゃないかと思います。そう思いたいものです。
それでは次回の“なんトラ”までSEE YOU!