さてさて、外国に旅行してみるとまず、分かるのが日本との違いというもの。
落ち着いて考えれば何ということはないものです。気候も風土も人種も歴史も異なっているのでありますから違っていて当然のことです。
でも、人間と言うもの毎日毎日の積み上げが人生というものでありますから、つい自らがこの世の中心であるというような考えに陥るわけですな。とくに外国からの客人を迎える場合に起きがちなのが、こちらの習慣が分からないというところからのズレでしょう。世界中どこの国でもですね。
ズレと言っているような状況の場合にはまだまだ修正は可能で問題ありませんが、これが摩擦という文字を使わねばならぬようになると少々時間がかかります。時としては決裂ということもあり得るわけですね。
ホームステイなどで良くあるホストファミリーと上手くいかないなどと言う時の場合がこれでしょう。ようするに双方の相性の問題と言えます。
わがファミリーでも、幸い過去20年くらいの間にずいぶんとステイした若者たちがいますが、長い場合も、1週間程度でもまったく問題ありませんでした。いい若者ばかりだったと思います。
よく、「現代の世の中を生きる人間はインターナショナルでなければ」などということが言われますが、わがファミリーはそんな面はみんな彼ら彼女らに教えてもらったような気がします。外国から来る人々は年齢の老若に関係なく“違い”を楽しみに来ているからなのです。
そんななかで北ドイツから来た20代の青年に日本の感想を聞いたことがあります。
「君はどんなところに興味を持って日本に来たの?」と。
そうすると「ヨーロッパから一番行きにくい所が日本だったから」と言う答えが帰ってきました(確かにfareast/極東と言われていますからね日本は)。
「で、どう?、感想は?」
「まったく違う。表向きは建物も近代的だし、テクノロジーもすべて揃っていて問題ないし、いろいろな面でヨーロッパより進んでいるところもあるんだ。でもね、1歩生活の中、つまりファミリーの中に入ると多くの伝統的な生活習慣やしきたりが残っている。そこが違う。そのギャップがすごく面白いと思うんだ」
「君にはここ日本が合いそうかな?」
「うん、言葉の問題さえ解決がつけばすごく合うと思うよ」
というような会話をしたことがあります。以来、何人もの若者に同じような質問をしましたが、大体同様な答えが返ってきました。
ようするにどこの国も人も違っていてあたりまえ、ということをベースに考えることそしてそれを受け入れることがインターナショナルなのでしょうね。
ところでドイツの結婚式に出てきたと書きましたが、その式には100人くらい出席していましたが、ドイツ以外からはわれわれ日本を含めて14か国の人が出席していました。いまやユーロで通貨も統一されていて10年ほど、ますます行き来が盛んになっているようです。
そしてそこで以前と違ってきていたことはコンパクトカーの増えていること増えていること。ドイツもフランスもメルセデス社製のSmartという2人乗りの車が増殖していました。やはり、エコロジーがベースになってきているのでしょうね。小さくてすごく可愛いので目立っておりました。新婚夫婦の車もSmartだったので写真を載せておきました。
見たことはおありになるでしょ。
それでは次回の“なんトラ”までAuf Wiedersehen!