ヒルの洗礼はあったけど、癖になりそうな…気がします。 – なんトラ140

 早いものでもう1か月もたってしまいましたが、6月30日の水曜日に登山(1251m)に行ってきました。
 登山と言っても近場。我が家が使っている小田急線の伊勢原(かなり小田原の傍)というところにある大山です。大山といえば江戸時代より阿夫利神社の参詣が有名で、途中までケーブルカーが通っていてすこぶる便利なロケーションです。ケーブルをおりて下社(しもしゃ・下の神社)まで参道が整備されていて両側にお土産屋さんがずらっと並んでいます。
また、この大山はお豆腐が有名なところで、以前行った時は下社参りの後に途中の茶店で、湯豆腐で一杯なんてしゃれ込んだこともありましたっけ。ですから登山などと言っていますが“なんちゃって登山”という感じと思っていました。

ですが今回案内をお願いしました山のお師匠さんは、槍だ穂高だというのもやっつけてしまう本格派の山男で、HOOPHYSTERIAのライターでもあり、スポニチの記者である高柳昌弥さんですから、前もってメールで装備のこともキチンと指示してくれましたのでまるっきり違いました。とは言っても「前に山らしきものに登ったのは何時だったろうか?」と考えましたが記憶に全然ないので、自分なりにウェアやザック、シューズなどを装填しておもむいたのです。学生時代には若さに任せてスニーカーなんかで行っていたのだろうと思います。
 山に慣れている高柳さんのいでたちとボクのいでたちにはかなりセンスの隔たりが見て取られ、自分としてはまったく見られたものではありませんでした。“なんちゃって”なんて考えていること事態に問題があります。かっこよくなどというのは望むべくもありませんがそれなりにというのは考えますものね。
 
 下社から歩き始めていろいろレクチャーを受けつつ、すべて次回から徐々に揃えようという考えに到りました。歩き始めて15分程たったら早くもハプニング。コンバースの軽登山靴のソールの接着剤が劣化してはがれ、右足がパカパカになってしまいました。…恥ずかしいの何の…。頭の中には一瞬「こりゃ駄目だ。もう帰ろう」なんて言われると思いましたものでございます。
 ところが師匠、ニコニコして「久し振りに登ろうなんていう時に良くあるんですよ」と普通は足首に巻くテーピングのテープで固定して下されました。そして「左足もなると思いますから、その時にはこのマジックテープのベルト(100均で講入だそうです)した物で固定しましょう。テープはもうないですから」。凄い危機管理(リスク・マネージメント)です。感動でした。
 ボクの歩き方、スピード、リズムなどを見つつ先導してくれたのですが、最初は3分登って1分休み。しばらくすると5分で1分。7分で1分と調整してくれました。歩いている時も「下ばかり見ないで先を見ましょう」とか「ストック(杖)は登りは2本で短め、下りは長めに山側の手に持ち1本で行きます」、「小刻みにステップを踏んで」などのレクチャーで登って行ったのです。
 通常の慣れた登山者であれば1時間45分ほどで着くルートを2時間10分で山頂に到着しました。それほど疲れは感じません、でも途中で何回か水分補給をしましたが、ここ20年位で最も水が美味しく感じられたのです。これが山に来た効果なのでしょう。さらにこの後、師匠は山の楽しさを味わう経験をさせてくれました。

 山頂での昼食です。伊勢原のコンビニでカップめんを買うように言われていたのでボクは一番小さな“緑のたぬき”を求めましたが、コッヘルという簡易コンロ(直径15cmくらいの小型の物)でお湯を沸かし食べ、珈琲も頂いたのです。温かいものは疲れた時には最高です。食後の珈琲も美味しかったなぁ~。
 そして下りです。登山者にとっての難関は下りだそうです。楽だと勘違いしてどんどんスピードを上げてしまい最後には膝が笑うという表現がぴったりの、疲れでカクンカクンになるというのです。気をつけてゆっくり歩んだつもりでしたが、ボクの足はゲラゲラ笑っておりました。下りは2時間半でした。合計4時間30分、良く歩きました。
 真夏、盛夏の今は変わっているでしょうが、今回の一番の誤算は“ヒル”でした。漢字では“蛭”とかきます。ナメクジの小さい感じの奴で普段は田んぼなどにいますが、梅雨時の丹沢山塊は大量発生するのだそうです。ボクも両足をやられました。なにしろ気持ち悪いんですな、これが。師匠の背中には何匹か這っておりましたね。

 そんな事故? もありましたが、気持ち悪いのの解消に、お隣の駅の鶴巻温泉の“弘法の湯”という市営の温泉場でひとっ風呂浴び、蕎麦をたぐって帰還いたしました。登った達成感、お水の美味しさと温泉に蕎麦。癖になりそうです。
 年内にもう一度いこうということになっております。
 さぁ、まずは最も大切なシューズを買いに行かなくちゃ。師匠一緒によろしくです。


インタヴューは選手を育てるのかな? – なんトラ139

 サッカーのワールドカップが終わりました。日本チームはベスト16まで進み、素晴らしく感動的なマッチを見せてくれました。
 それほど熱心にサッカーを見ていた訳ではありませんが、1998年のフランス大会以来、結構、要所要所ではウォッチしていますからその成長の度合いは感じられます。誰が見ても感じられたと思うのですが、今回のチームの勢いの源は若いプレイヤーだったということです。フォワードの本田、ディフェンスの長友、そしてゴールキーパーの川島の成長、躍進に負うところが多かったと思います。
 この若きプレイヤーたちの恐れを知らないトライの精神が岡田ジャパンを変化させ、ケミストリーを生んでいったとボクは思います。
 戦前、負け続けのチームは散々酷評され、良い芽はひとつもないような報道一辺倒だったことは皆さんもご存知のところでしょう。新聞、ラジオ、テレビというメディアはそんなものなのです。さんざっぱら悪い面を叩きまくり、良い結果(目標のベスト4ではありませんが…)が出ると、手のひら返しの報道です。それぞれどのような書き方、報道の仕方の違いがあっても一般大衆の注目を集め、それによってスポンサーを獲得できればよいという図式なのですね。
 でも、そんなひどいメディアもそのチームや団体が弱く、組織も脆弱な時には応援の姿勢を持ち合わせているものです。そしてチームや団体も強く勝ち始めると対応が横柄になってきてしまうのです。まあ、どっちもどっちというところなのですがね…。

 ボクはサッカーの専門ではありませんから偉そうなことは言えませんが、ベスト4に行けるかどうか分からないけれど、それを目標に行ったからなんとか16までたどり着いたのではと思います。率いる人間の言葉によってプレイヤーはイメージを作りますから、言葉以上の位置にはなかなか行けないものです。こんな時の表現としては“腹が一杯になってしまった”と言う感じです。自分たちの実力を考え、コーチが言う到達点から見ればこの辺だろうというところだと思います。

 ワールドカップに出場してまだ4回目。今回は大出来だと思います。これ以上を望むというのは先達に対して失礼というものです。全チーム予選リーグを突破した南米勢、そしてオランダ、ドイツ、スペインは素人目にもかなり上のサッカーをしていたように見えました。
 でも長友、川島がヨーロッパのチームと契約するなど、更なる経験を積める場にステップアップしました。このような一人一人の1歩1歩が日本代表を押し上げていくのでしょう。

インタヴューも機会あるごとに聞いていました。彼らの受け答えに興味があったからです。最初の頃はプレイヤーたち皆がまず「そうですね」から答えはじめていました。凄く聞き苦しかったのを思い出します。
しかし、日を追うごとに答え方のバラエティーが広がり始めたのです。一番最たるプレイヤーは本田圭祐君でした。カメルーン戦の最初の得点を上げ、エースに祭り上げられましたから常に談話を求められ、鍛えられたのかなとも思います。そのなかでも、
「常に応援してくれたファンも、批判してくれた方の意見もすべて自分のためになりました。それがあったからここまでこれました」。
という言葉を聞いた時には「すごい、大試合と言う物はここまで若いプレイヤーを育てるものか?」と思ったものです。
バレーボールの全日本がミュンヘンで金メダルを取るまでには3回のオリンピックが必要でした。その時も選手の談話がどんどん記事になりやすい形に成長して行ったのを思い出します。
今回のワールドカップでは、ワンランク上を目指せる素地がようやく出来てきたなと感じさせて貰いました、これからの日本を代表チームをさらに注視して行きたいと思います。

さて、わが日本が活躍することも嬉しいし楽しいものですが、各国のお国柄やいろいろなエピソードも知れて楽しめました。これはTVの裏情報的なものでしったものですが笑えました。
「イギリス人のこれまでの歴史上で最も大きな失敗は、ブラジル人にサッカーを教えてしまったことだ」。
「イタリアではワールドカップで自国の試合があるときにはすべてがストップする。飛行機は飛んでいないし、ローマ、ミラノ、ナポリなど町の中に車は通っていない。人も歩いていなくてゴーストタウンのようになる」。
「一般的なイタリア人の興味はまずサッカー、そして女性、ずぅ~っとランクが下がって仕事かな」。
「ブラジルに言わせると、ブラジルにとっての南米でのライバルはアルゼンチンだけ。他はサッカーはやっていないんじゃない?」。

凄いことを平気でのたまうものです。バスケにはまだ各国のこんな文化を感じさせてくれる言葉は出てきませんね。

それではまた、次回の“なんトラ”までごきげんよう。


こんなことって、あるんですね。――その(3) – なんトラ138

 さて、安全な野菜の供給システムがようやくできたと前回に書きました。それは理にかなっていました。
 野菜の種が一番発芽しやすい条件というものを試行錯誤しながらまず見つけるのです。温度、湿度、そして日のあたり方などを理想的な状態を維持するのです。そして発芽した後は旬(しゅん)の状態をいつも保ちつつ栽培するわけです。
 旬というのはそのものが一番美味しい時期のことですから、人間としての身体もその栄養を受け入れやすいわけですから、身体にも良いことは間違いありません。現代に生きる人間はそうした条件の良い野菜を常に食しておらねば、もたないほどの環境の悪さにさらされていると言っていいのです。
 だからいつも旬の状態の野菜を作ることに意を注ぐのです。

 発芽して成長していくと花が咲きます。これも通常であれば蝶や蜂が、花から花へと飛んでいって受粉し実を結ぶということになるのですが、近年の、蜂が気候の変動によって育ちにくくなるあるいはいなくなるというようなことが起こると、その受粉もままならぬことになります。
 そうすると土地(畑)にホルモン剤入りの農薬をまいて、受粉するように仕向けます。そうしなければ収穫に出来不出来の状況が生まれて事業にならなくなるからです。しかし水耕栽培の場合、ハウスの中に蜂の巣を持ってきて放すのです。こうすることによって自然な受粉が促されるのです。
農薬はなるべく使いたくないですからね。
 
 このように水耕栽培でつくられた野菜は“百年野菜”というネーミングで世に出始めています。百年前は農薬まみれの野菜なんて存在しませんでした。そしてこれから百年後のこどもたちのことを考えて食、野菜を考えたい。そんな思いで山根さんは名付けたと言います。
 天候に左右されなければかなり低いと言われている日本の食糧自給率も必ずや上がってくるはずです。そしてこの不況の中、職業の創生にもつながろうというものです。一挙両得というのはこういうのをいうのでしょう。
 今後“百年野菜”という名前はポチポチと、あちらこちらで耳にすることも多くなってくることと思います。若さに任せて強引なことをやってばかりいて自分の身体を痛めつけてきたボクですが、少しずつ良い方向に考えるようになって来ました。良い物を広げる、つまり広報・パブリックリレーション(PR)するということを知らず知らずにやってきたこれまでの行き方が、役に立つならば大いにお手伝いをしようと考えています。

 関わっていくうちにいろいろと勉強をすることになると思います。そんななかで、ボクの琴線に触れるような凄い話、素敵な話があったらまた書かせていただくと思います。
ともあれ、自分にとってはかなり衝撃的な再会と刺激的な行動をする山根さんだったので思わず3回の連載になってしまい、失礼致しました。

それでは次回の“なんトラ”までごきげんよう。