こんなことって、あるんですね。――その(2) – なんトラ137

 姫路駅で40年ぶりに会う友は待っていてくれました。
 彼の名は山根正義さん。正確に言うと41年目にしての再会です。目の前にした時、思わずハグをしてしまいました。あまりに長い間、離れていた間隔を埋めるには他の方法は思いつかなかったのです。
 そして挨拶もそこそこにすぐに、アグリポピュレイションジャパンの本拠地に向かうこととなりました。姫路市の郊外の夢前町に事務所とファーム(ちょっとかっこ良すぎるかな?)は、娘さんの史峰(しほ)さんの運転する車で20分ぐらいだったでしょうか。
街中から、田んぼが見えはじめ、最後は山の中って具合でした。街の名前は“ゆめさきちょう”、向かう道々ず~っと話しながら今までの距離を埋めるため聞く側に回っておりました。以前とまったく変わりなく自らのペースで自らの想いを語っている彼の話は、まったく“夢見る人”であり、すべてストンと腑に落ちたのでした。そして夢前町という名前までも納得でした。

まず、ボクが聞きたかったのは「牧畜の世界に身を投じたのに、なぜ野菜に転じたのか?」ということでした。
山根さんの話では、一心不乱に北海道の函館の近郊で乳牛を飼い、それなりの成果はあげられていたということです。家庭を持ち、子供が生まれ(彼は5人の子持ちです)、家族になったときの一番の思いは「5人の子供に、冬場の半年の間に野菜を食べさせられる方法はないか?」ということでした。それほど生野菜、ビタミン系の不足が深刻だったのだそうです。
北海道の冬の半年間、農地は雪に覆われてしまいますので野菜は作れません。通常、本州から運ばれてくる野菜を食すのですが、繊細な子は吐いてしまったり、下痢をしたりすることもあったといいます。農薬などに敏感に反応してしまうのでしょう。そこでハウスでの栽培を少しずつ研究し、牧畜での利益を少しずつ注ぎ込んで行ったのです。そうやっているうちに彼の内部に、日本の農業のあり方に対する疑問点が出てきました。

食に関することですから国としてもいろいろな保護策をとり農業を援助しています。そんな農業の最大リスクの80%は天候と言われます。
日本全国に農業の名人がたくさん存在します。お米もそうですが、トマト、きゅうり、なすなど野菜作りの名人の方々でも、実働約30年(実際はもっと長いのですが30歳から始めて60歳とすると)の間に30回種を蒔きますが、そのうち15回は天候の関係で失敗ということもあるわけです。何とか利益が出たといえるのはアベレージで5回ほどと言われる状態だそうです。これでは産業になりえません。ここでした。
広い土地を持ち、家作を持っている“豪”がつきそうな農家や大都市近郊の農家は良いのでしょうが、細々と継続している小農家は「やっていけない、成り立たない」と廃業している現実はよくニュースなどで流れているのでご存知かと思います。
そこでハウスでの栽培であれば天候に左右されることもないし、農薬で虫をシャットアウトすることもない。さらに農業の中で一番キツイといわれるのは同じ体勢を長く続けなければいけないという所、そこを排除することで仕事として参入する人を多くしようと考えました。腰を曲げ続けの畑の草むしりは本当に重労働ですからね。
そんな疑問点を解消して、さらに安全な野菜を安定的に供給するシステムを作って食料自給率を上げる方法がようやくめどが立ったというのです。

ここまで来ましたが、まだまだ書かなければならないことがあります。あまり長くなるというのも読み辛いもの。前半、後半で終えられると思っていましたが、もう1回のオーバータイムを戴きたいと思います。もうしわけありませぬが、お付き合いください。
それでは次回の“なんトラ”までごきげんよう。