なんトラ133

 ここ数年、“エコバッグ”を作ってあちらこちらにお礼で配ったり、子供たちのバスケキャンプの賞品にしたり、あらゆる分野のバスケを愛する人たちの集まりHOOPHYSTERIAのノベルティーにしたりして活用しています。
 何故、作ったのか? というのは現在フィリピンのマニラで“ゲストハウス”を営んでいる弟が帰国していた時の何気ない話からでした。
 「フィリピンという国はアジアの中でもかなり所得水準が低く、国民の生活はひどい状態に陥っている人が多く、難しい国なんだ。世界各国から政府(ODA)、民間(NGO)レベルで援助はしてもらっているけれど、一般市民にまでそれが届かず、途中で搾取されているようなんだよね」という話でした。そして、
 「彼らはお金はないけれど、明るく楽天的で人柄も良い。気候が良いので果物なんかも、棄てた種からはえて来て食べられるようにすぐなってしまう。だから働かなくとも何とか食べられるから、勤労という感覚は非常に薄い。そんな悪循環に陥っている国なんだよね。1日100円あれば家族4人に食べ物が手に入る十分な金額なのだけれど、それが儘(まま)ならない、兄貴、何か良い手はないかな?」。
 と相談されました。以前にも、アジア・バスケット連盟の仕事をしていた時に御一緒していた事務総長の趙東宰先生が「ホープレスな国なんです、フィリピンは。政治的に問題が多い」とおっしゃっていたのを思い出します。
 そこで2人がない頭をしぼって考えたのが“エコバッグ”でした。こちらの払える金額内で収めること、どこで使うかという需要を考えた上でのプランでした。持つ手は1つの肩から掛けるタイプでバスケットボールが1個余裕で入ります。2000ccのお茶や水を6本入れて運んでも(つまり12kgです)破れない強さはあります。
 注文値段は250円。これであればこちらもなんとかなるし、現地の方の費用も捻出できといいます。それ以後、前記したHOOPHYSTERIA、FIVE STAR CAMP、狛江市のスポーツクラブのKOMAWA CLUBその他、少しずつ範囲が広がってきています。
最近、弟からメールがきました。近況を綴ったものですがフィリピンという日本からも近いお国の様子が少々分かる内容でしたので載せてみました。

和彦様
 こちらは3月になり本当に暑くなりました。いつもは入れないAIRCONを数時間入れてから寝る状態になりました。
通常、フィリピンは乾季、雨期に分れています。熱帯性低気圧がおおうと時としてしつこい雨、まるで日本の梅雨のような感じで雨が降ります。そう、雨期になるとうんざりするほど、雨が降るのです。台風が多数発生するのは地球温暖化の影響もあるかもしれません。
最近、電気が値上がりして庶民は困っています。今までの倍になっているのです。仕事で手伝ってくれるうちの縫い子さんは、いきなり電気を止められそうになって助けを求めてきました。水力発電も少しあることはあるのですが、ここのところ雨が降らないので使い物にならないのです。
金持ちもたくさんいるのですが太陽光発電を自分の家に入れて発電しても、余った電力を電力会社が買おうとしません。日本でも政府主導で制度化されましたが、この国はどうにもなりません。
縫い子さんのことを書きましたが、エコバッグに関係するペインター(プリント屋さん)も貧乏です、5人の子持ちです。エコバッグを作ることは多少とも貧乏解消に役立つていると思いますがなにしろ大変です。いままで、セブ島で始めて以来3人のペインターと付き合ってきましたが、現在の人が一番そつがないように思えます。
この国フィリピンは、貧乏なのですが教育熱心で親は一生懸命にこどもを学校にいかせています。学校は識字させたり、算数を教えたりしますが、基本的な日常生活的なことは教えません。
だから、この国は汚いのです。そこら中にゴミが散らばっています。プラスチツク(日本で言うレジ袋)を貰いたい放題貰い、捨てたい放題捨てています。この国の人がまずエコバックを使わないといけないのではと思ったりもします。
また、こんなことは言いたくはないのですが、現実を知ってもらうために書きますが、かなりの人が平気で“うそ”をつきます。
TAXIも行き先が分かっているくせに知らないと言い遠回りします。
だから、この国で付き合いたくない人種ベスト5?は、TAXI運転手、入国審査官、税関の役人、警察官、市役所の役人といわれています。フィリピンを訪れる人もおられると思うので書いておきました。少しは付き合わないとやっていけないので、実生活ではかなり困っています。
今は自己プロデュースでJEEPNEY(簡易タクシー)、 TRYCYCLE(3輪自転車タクシー)と Philippines の地図のエコバックを作る予定で200のオーダーを出していて、月末には届くようになっています。わがゲストハウス“islas8817”で旅行者のサービスに使ったり、買ってもらったりしようと思っています。
出来ることをやらないとだめだし、少しずつ動いています。(島本信彦)

という内容です。フィリピンからバッグを送ると送料がかかるため弟が帰国する時手荷物で持ってきます。ですからボチボチ続けるのが良いペースのようです。そこを理解してくださる所に営業するのがこれからの課題です。私の担当です。ご興味のある方はぜひ、メールをくださいませ。自分たちにも、恵まれないフィリピンの人たちにも焼くには立つはずです。よろしくお願いいたします。

それでは次回の“なんトラ”までごきげんよう。


NBA JAPANのHPのブログを書かせて貰うようになりました。 – なんトラ132

 今まで大変お世話になっているNBA。これは勝手に私がそう思っているだけなのですが、バスケットボールをプレイしていなかったのに何故だか私をめったやたらと夢中にならせてくれたからなのです。その夢中になった理由は簡単。
 「何故、あんなことが出来るんだ? 何故、あんなところに手が届くんだ?」
 という思いでした。それと、
 「仕事とは言え、何故われわれメディアにあれほどの詳細なデータ(写真や記録集など)を提供してくれるんだ?」
 という思いだったのです。両方とも完全に自分の生きて来た中での経験値のなかにはありえない行動? だからだったのです。前者で夢中にさせられ、後者で資料を手にして熱中させられた結果、今日の私が出来上がったと言ってよいでしょう。

 さて、忘れもしない1987-88シーズン、取材でLAレイカーズのPRディレクターのジョッシュ・ローゼンフェルドに会ったときのことでした。当時、日本からNBAの取材のために訪れるメディアなど1社たりともありません。LA駐在の新聞社の記者などもベースボールには行ってもバスケなど見向きもしません。日本での需要がないから当然と言えば当然です。
そんな状況の時ですから、彼は“何をしに来たんだこの東洋人は?”と言うような顔つきをしながらギロっとにらみ「What can I do for you?」(俺はおまえさんのために何ができるんだ?)と言うのです。
わたしはすぐその場で10項目くらいの要求を書き出しました。NBA全チームのロゴ、コーチとプレイヤーの写真、これまでの全記録の載ったメディアガイド、各チームのメディアガイドETC…。
すると、そのリストを見たジョッシュは5分程でダンボールの箱に資料を一杯入れて戻ってきて「この2つのチェックした物は明日渡す。後は全部揃ったよ」ときたもんです。ビックリしました。その資料の山を見たとたん私は「こりゃあ、月刊バスケ2、3年分が出来る程の資料だ」と思ったものです。今考えてみるとそれを完全に使いこなすには10年くらいかかってしまいましたが…。
ともあれ、それ以来レイカーズの取材に行くたびにジョッシュと連絡を取り合い、彼の好きな寿司を食しつつ、飲りつつNBAの話をしたものです。もちろん、ブロークンでですがね。後に彼は、ジャパン・ゲームスの時にはレイカーズからNBAにトランスファーしてインターナショナルのPRディレクターとなって来日しましたので、さらに関係は深くなり、心友と読んでも良い関係になりました。

まあ、こんな形で夢中になり、熱中し、現在はNBAブログというNBA JAPANのホームページ内にあるコーナーに書くことに集中しております。冒頭に書きましたように少しでも今までのお世話になったことに対するお返しが出来ればということなのです。
そして、NBA JAPANのPRスタッフの方に教えてもらったNBAブロードバンドというものでゲームも視るようになりました。ここのところNBAの解説がなくなって仕事で見る機会が少なくなっておりましたので本当に重宝しています。一番の私にとっての刺激は英語音声で聞くこと、そしてアメリカのCMを見れることです。何が流行っているのかが良く分かります。
ぜひ、nba.com japan を覗いてみてくださいまし。
ウォリアーズのチアリーダーの五十幡佳美さん、bjの仲西淳君、そして田臥勇太君その他専門誌の編集長が書いています。私も今までの仕事でどんなトライをしてきたのかを、つれづれなるがままに書いておりますので…。
それでは次回の“なんトラ”まで、SEE YOU!