ファッションのTPOを教えていなかった。 – なんトラ131

 いや~、オリンピックというのは皆様、注目しているもんですね。
 バンクーバーに着いたところからいろいろと話題をメディアが提供するものですから一億総評論家になってしまったようです。

その、槍玉に揚がったのがスノーボードの国母宏和(こくぼひろかず)選手。まず、ネクタイをゆるめていた、そして中のシャツをズボンの外に出して入国した、というのがだらしない、国を代表する人間があれでは…、と言うようなものが判断基準となってJOCやスキー連盟に講義のメールや電話が殺到したようです。
でも、スキーの世界でもモーグルやスノーボードなどは新しい種目であり、それまでのトラディショナルな種目にあきたらない若者が面白がってやっていたものが、競技人口が増え認められてオリンピック種目になったものです。圧倒的にファッションもそれまでのスキーとは違っています。ストリート・ファッションがスキー場に出没して来たようなものと考えれば良いのです。ですからオールドスクール的な発想を持つ人にとっては「なんじゃ、あれは」と言うことになってしまうのでしょう。

バスケの世界でもその昔ピチピチのパンツだったのが、マイケル・ジョーダンの登場で彼が大きめのパンツを好んで穿いたことにより、みんながぶかぶかのものになりました。NBAでさえも大きさの規制をしたほどでした。これも同じようなものですね。
前回の“なんトラ”で書いた朝青龍関の場合は、外国人に日本の文化を伝える難しさを書いたわけです。しかし今回は日本人ですが、回りの皆が宇宙人だといっている若者に対してファッションのTPO(Time.時 Place.所 Occasion場合)の説明がなかったということなのでしょう。a sense of occasion(状況をわきまえた良識)と言う言葉もあるくらいです。きちんとやってよいことと駄目なことを事前に言っておけばあんな騒動にはならなかったのだと思います。

彼だって21歳の立派な大人です。結婚もしているそうですし11歳からプロとして活動し世界を転戦しているのですから、話せば分かるはずです。
指導する立場の人間の危機管理(リスク・マネージメント)度が低かったと思わざるを得ません。日本人なのだから言わなくとも分かっているだろう、なんてことは通用しないのです。
しかし今回のこの騒動で国母選手もスノーボードの世界も良い勉強をしたのではないかと思います。こういう軋轢を経ながら新種目は注目されてきたり、内部の指導体制も固まってくるものだからなのです。
帰国時の彼はきちんとズボンの中に入れて、タイもしっかりと締めてきました(なかなか可愛かった)。これからどのように成長するのかを注視して行きたいと思います。何はともあれ私にとっても気になる存在になってしまいましたからね。

それでは次回の“なんトラ”まで、ごきげんよう。


“品格”と言う言葉、きちんと説明したのかなぁ。 – なんトラ130

 「寒い、寒い」と言っているうちに、いつもプレイしているテニスコートの横の梅林も、うっすらとピンク色に染まってきておりますな。日々、世の中は動いており、春もすぐそこまでやってきています。そして、なんと、なんと相撲界のお騒がせ横綱の朝青龍関が引退してしまいましたね。
 やはりあれだけ強く頭抜けた存在になると、いろいろと風当たりも強くなりますね。29歳という若さでリタイアとは、早過ぎると思うしもったいないとも感じます。
 朝青龍も高校を出たてのころはまだ体も大きくなく、ひ弱な感じでした。しかし時折り見せる動きの中には素晴らしい瞬発力や、土俵際での粘り腰など凄まじいものを感じさせてくれていました。少しずつ上位に上がってきてはいても、まだあまり勝てないうちはそれほど問題になることはなかったようです。
 相撲の実況放送のベテラン・アナウンサー坂信一郎さん(カレッジバスケの放送では随分とお世話になりました)は「初期の頃は部屋での稽古などでも、どうしたら勝てるのか、どのように技を決めていくのかということはかなり叩き込まれたと思います」と言っておられます。
しかし、「勝てばすべてOK」ということがあまりにも強調されすぎ、「勝てばなんでも思いどうりになる」と単純に思ってしまった結果が、今回の結末に到ったのではないかと思うのです。

そこには一般的に言う“コーチング”という概念は彼に対してはまるっきりなかったように思います。
そもそも“コーチ”という言葉の語源は、アメリカの西部開拓の歴史の中にあります。あの開拓の主役をになっってきた幌馬車のことをコーチというのです。日本でも小さなバスのことを“コーチ”と名付けてあったり、東京の世田谷には東急電鉄のバスが“東急コーチ”と言う名前で地域の小回りの効くバスとして便利に使われているのはその表われと言って良いでしょう。
語彙としては幌馬車のようにA地点から、B地点まで物や人を運ぶものを“コーチ”といったのです。さらに進んで、スポーツの世界ではAとBの高さが異なってきて、なにも出来ない時点のAから、何とかプレイできるようにする高みの位置のBまで上げることをコーチというようになったのです。もちろん、そこには精神的なるものもアップさせることも入っていることは言うまでもないでしょう。
しかし、ビジネス的なものがそこに介在してくると前記した「勝てばよし」といった考えが前面に出てきます。それもやむを得ないことですが、強く素晴らしい資質を持った力士が長持ちするためにはやはり教育と言うものが必要だったのでしょう。それがなかったとしか言いようはありません。
極端なことを言えば、ここ2、3年の朝青龍を見ていると“相撲はサイドビジネス、ともあれ毎場所出てさえいれば収入は確保”といった感じでした。天才が居直って行動してしまったのが今回の騒動の大元だと思います。
“横綱の品格”などとやたらに“品格”と言うあいまいな言葉が前面に出てきました。しかし、シンプルに考えてみれば朝青龍関は外国人です。日本の習慣や文化になじみのない人に品格などと言ったところで、まずなかなか理解し難いものと思わねばならないでしょう。だからこそコーチが必要だったのです。「懇切丁寧に分かりやすく説明することが重要だったのではないか」と思わざるを得ません。
日本人だって外国へ行ってそういう思いをしたことはいやという程あったのではないかと思います。結果、朝青龍関はいつもアウェイで戦っているかのような闘い方をしてしまったのでしょう。
あと5年ほど現役を続けさせる大きな心を、日本の相撲界とマスコミが持っていれば嫌でも自分が生業(なりわい)としている職業を創ってくれた先達に対する敬意を持つようになったのではと思われてなりません。
非常に残念です。異なった文化を注入するのは本当に難しいことです。

それでは次回の“なんトラ”でまたお会いしましょう。