8月と書くのが恥ずかしくなるほど寒くなってしまいました。
 でも、恥ずかしげもなく大阪インターハイ(高校総体)のことを書かせてもらいます。相変わらずインターハイは本当に素晴らしく、感動させてくれました。体格、体力の差などなんのその、必死になってプレイする様は勝敗を度外視して、誰もが納得するだけの説得力をもっていました。
ボクが初めて取材したのは1973年の津インターハイだからなんとも早随分昔のことですが、その若々しいプレイの与えてくれるパワーは変わらずに健在でした。それ以来何度も取材してきましたが、編集長にならされてからは良くて1日、大体は東京ですべて受けにまわされておりました。ですから今回のようにほぼ全日程の取材などする機会はもうないと思っていました。
そんなチャンスを与えてくれたのがビデオ製作会社・リアルタイムの大塚満彦社長でした。
「高校生をインタビューしてくれませんか? まさか、島本さんがするとは思っていな  いと思うので喜んでくれると思うんですよね」、
 という上手いおだての一言で乗らされてしまいました。ちょうどこの夏に3度目の成人式の歳になるし、何かにチャレンジしたいと思っていたところだったので、渡りに船とはこういうことなのでしょう。
上手いインタビューが出来たかどうかの自信はありませんが(各校の選手やコーチの皆さんすみません。それと大塚さんにも…)、楽しめました。現場でのインタビューはNBAではまず現地に行ってもないのが普通なので緊張もしましたし、良い経験をさせていただきました。
 1回戦から主に男子が多かったのですが、印象に残ったチームは桜宮(大阪)、恵庭南(北海道)、秦野(神奈川)、洛南(京都)、福大大濠(福岡)、北陸(福井)といった所でしょうか。それぞれポイントガードがしっかりしていて、放っておくといくらでも点を獲るプレイヤーがおりました。ここまでの高いレベルまで仕上げた指導者の先生方には本当に頭が下がります。
 会場は常に満員で観客の入れ替え制までしていました。バスケットボールの底力を見た気がします。そして今後もバスケットを応援し続けるという気持ちは間違っていないという勇気も貰えたような気がします。
 結果は男子が北陸、女子が桜花学園(愛知)の優勝となりましたが最後の表彰式を見ていて式典まで変わっていないのにはびっくりしました。
 唯一変わっていたのはプレイヤーたちのために椅子が用意されていた事でした。
 椅子を出すくらいだったら短くすればいいのにと思ったのはボクだけではないでしょう。
来年のインターハイは佐賀の唐津で、視察という名目でかなり佐賀県の役員の方々が来ていたようです。おそらくまた椅子を出すのでしょうね。アメリカのハイスクールのステイト(州)選手権を取材した事もありますが、せいぜい長くて10分、5、6分で終るのが普通でした。日本は変化を求めない国民性があると書いたことがありますが、なかなかそれを変えるのは難しそうです。
それと、あれだけ観客が入っているのですから100円でも、200円でも入場料を取ればいいのです。さだかではありませんが、どうせ文部科学省の予算で運営しているのでしょうが、わが日本は借金で困窮しているというのですからね。あのゲームを観れば誰も入場料をとっても文句を言う人はいないと思うのです。
そのお金を運営に使ったり、あるいは小中学校のバスケの普及に、または車椅子バスケの支援に使えばよいと思うのですけれどね。
さて、変わっていないといいましたが、チームに外国籍のプレイヤーが増えている点と、応援団の父兄と控えのプレイヤーがいっぱいだった点に時代の変化を感じました。これは両方とも日本の国が豊かになった証だと思うのです。
留学生が増えたのは日本という国が憧れの対象であり、日本語を学ぶ事によって良い生活が保障されるひとつの条件になるという事だと考えられます。主にセネガルや中国の大型プレイヤーが加わっているのですが、彼らを入れられないチームからは問題視する声もあるようですが、僕はポジティブに考えなければいけないと思っています。彼らが存在するから大型プレイヤー対策が出来るというように。
応援団が多いのは日本の家庭が裕福になったのでしょう。その昔、控えのプレイヤーは残って練習というのが当たり前でした。来年は行けるように…という頑張りの糧となっていたのです。父兄も時々散見する程度だったのです。まだ、そちらにお金をかけられるという余裕はなかったのでしょうね。

ともあれ、インターハイは元気でした。本当に勉強になりました。ますますバスケが大切なものになりました。

 それでは次回の「なんトラ」までSEE YOU SOON!