NCAA選手権が終わりました。
3月から4月にかけてはNBAのフランチャイズを訪ねる旅をしていたので、NBAのゲームを生で見つつも、目の前のモニターテレビのチャンネルはいつもNCAA選手権にあわせてしっかり見ていました。
これはわれわれだけがやっているのかと思ったら、まわりのアメリカ人記者も同じことをしていて、凄いきわどいプレイの場面では目の前のフロアのゲームはお構いなしに「ウォ~!」と喚声をあげていました。あるときなど記者席のすぐ後ろが一般の客席でしたが、そこの観客もわれわれのモニターを盗み見ており、Good Playの時など思わずハイファイブをしてしまったことを思い出します。
この時期、NBAはまだ余裕のレギュラーシーズンですが、NCAAはトーナメントですから1戦、1戦で勝負がついてしまうので毎日チェックしていました。そこで一緒に行っていたジョージ・リベイロが「このNBAツアーは“マーチマッドネス・ツアー”だね」ということで名前がついてしまったという経緯があります。
さて、今シーズンの優勝はルイヴィル大カーディナルス。控えガードのケヴィン・ウエアが準々決勝で足の骨が15cmも出てしまうような複雑骨折、そしてファイナルでは控えのルーク・ハンコックが22点をあげてMOP(最優秀選手賞)を取るなど、控えの選手が話題をさらったシリーズでした。それだけ選手層が厚かったということで、コーチの手腕が光ったといえるでしょう。
前回の優勝が1986年ですから27年ぶり3度目になります。コーチ、リック・ピティーノは1996年、98年にも同じ州のUKことケンタッキー大ワイルドキャッツで勝っていますから、彼自身も3度目の優勝となります。異なるチームでの選手権優勝はNCAA史上初めてという快挙です。
ルイヴィルの最初の優勝は1980年。前年がマジック・ジョンソンのミシガンステイトとラリー・バードのインデァナステイトの決勝だったのですから随分と昔ですが、ロドニー・マックレー、デレック・スミス、ドクター・ダンケンシュタインというニックネームを付けられたダーレル・グリフィスを率いてデニー・クラムHCが爆発力のあるチームを作りました。この3人、NBAでもそこそこ活躍しています。
2度目の86年はパーヴィス・エリソンをエースにビリー・トンプソン、ミルト・ワグナーが中心にあれよあれよという内に優勝してしまいました。決勝の対デュークだけが競った試合でした。組み合わせに恵まれました。
一方、サウスの4位から勝ち上がって来たミシガン大ウルヴァリンズは24年ぶり2度目の全米チャンプを狙いましたが涙を呑みました。NBAのスーパースターを父に持つティム・ハーダウェイJr.(3年)とグレン・ロビンソンⅢ(1年)、スマートなムーヴのトレイ・バーク(2年)を擁しましたが今一歩届きませんでした。
トレイ・バークはクリス・ポールの再来といわれる逸材PGで6月のドラフトでは目玉となる存在といわれています。要チェックです。
24年前というと89年、私がはじめてNCAA選手権のファイナルフォーの取材に行ったシアトルでした。決勝はミシガンとシートンホール。グレン・ライスとジョン・モートンの壮絶な入れ合いが記憶に残っています。しかし、ライスに加えてテリー・ミルズ、ルミール・ロビンソン、ロイ・ボウトという後のNBAで活躍したプレイヤーの総合力の前にはパイレーツも轟沈したのです。
ミシガン大といえば“ファブ・ファイブ”という印象を持っている方も多いと思います。全員フレッシュマン(1年生)で92年のNCAAの決勝まで行き、93年も同じメンバー行ったのですからインパクトは強烈でした。だから前回優勝というと彼らが…、でも優勝してないんですね。
ここでおさらいです。“ファブ・ファイブ”の5人をしっかり書いておきたいと思います。時々確認しないと忘れてしまうのです。NCAA好きな仲間とも5人覚えていて言えるかどうかで結構話題になるので、ぜひ覚えてください。クリス・ウェバー、ジュワン・ハワードここまではお約束。ジェイレン・ローズここらまではね。そしてジミー・キング最後のひとりが出てこないんです。そう、レイ・ジャクソンですね。
覚えていたからって何か貰えるわけではないけれど、脳の訓練にはいいかもしれません。
NCAA選手権の報道的なものはオタクライターの青木崇君が書くと思うので雑学的なものばかり書いてみました。
最後にお知らせです。大槌の3ON3の大会日程が決まりました。6月23日(日曜日)です。詳細は他のページにお任せです。
それでは次号の“なんトラ”まで御機嫌よう。