台湾に行ってきました。

主目的は我が家にホームステイしていたアンジェラの弟君の結婚式に招かれたからでした。もちろん、2年前の彼女の結婚式にも出席していますが「出て行ってしまう娘と、家を継ぐ長男のとは違うから是非来て祝ってください」とアンジェラと父君もおっしゃって下さったので行くことになったのです。日本との相違も分かって面白そうだと言う好奇心も凄くありましたのでトライです。

7月11日に発って22日までの滞在という12日間ですから、台湾訪問としてはかなりの長めだし、ちょうどJones Cup(ジョーンズカップ)の最後の美味しい部分を観戦できるかも…、と勇んでおりました。まぁ、訪問先は新竹(シンチュウ)と台中(タイチュン)だけれど新幹線を使えば1時間ほどで台北(タイペイ)着くし、チャンスを狙っておりました。

ジョーンズカップは毎夏行われる招待試合で8~10チームが参加します。現在は男女とも行われておりますが、スタートは1974年に中国がIOCに加盟するとともに台湾が追い出された形になってしまった時のことです。当時のFIBA事務総長のウィリアム・ジョーンズは一考します。

「いままでアジアのバスケを支えてきたのは中華民国(台湾)だが、中華人民共和国の方が大国であり将来性もある。そこで一度台湾には外れてもらって中国を入れよう。だが、外れている間台湾のレベルが落ちてバスケ競技者が減るのも困るので、自分の名前を冠したカップをプレゼントして世界各国からチームを呼んであげよう。そこまで責任を持つ。そうすればレベルも保てるし人気も得られるだろう」

と、こんな経緯で始まったジョーンズカップ、いまやそんな裏の話はかなり古い人でなければ知らないことになってしまっています。台湾も日本もです。ですがかなり良いチームが出場する伝統はまだまだ健在です。だからボクは観ておきたかったのですね。

ところがところが、いやぁ~なんだか訳の分からない行事? が盛りだくさんなのが結婚式って言うやつで、人の出入りは多いし、親戚関係の会う人会う人すべてが2度目なので、皆ニコニコしながら寄ってきてカタコトの日本語交じりで握手を求めてきます。そういえばこの人は父方の…、こちらのおば様は母方の…、と言うように少しずつ思い出しますから時間のかかることかかること。結局、わがジョーンズカップ観戦作戦は徹底的な台湾式結婚セレモニーのフルコート・プレスに対応できず、見事玉砕となってしまいました。

でも、TV観戦を試み3~4試合を飛び飛びで見ることが叶いました。やはりTV放映の中心は台湾戦がらみ。ボクが取材やアジア連盟のエディトリアル・コミッティー関係の仕事がらみで見ていた台湾チームとは一皮も二皮も剥けた良いチームに仕上がっていて、この後のアジア選手権での活躍が大いに期待されていました。

わが日本チームはついに観る機会無しで終わってしまいました。マニラでのFIBA ASIA選手権で見れると思うので次に回すと致しましょう。

さて台湾の結婚は大変です。婚約式、結婚式、結婚披露宴と3部に分かれています。

まず、14日の婚約式、お嫁さんの実家にお婿さんの親戚一同が行ってお婿さんがお嫁さんのご両親に許しを請うと言う形式。近くの大きなレストランでお嫁さんの友人を中心に招いて婚約レセプションの大食事会。これだけでも150人は出席していたようです。面白かったのは食べきれないほどの食事が出るのですが、お婿さん側の客(すなわち我々)は早めに残して出るのです。それはすべてお嫁さんのお客さんの方がテイクアウトする習慣になっていると言うことです。

そして17日は結婚式、新郎の友人5人くらいがベンツを運転して新婦とその友人を迎えに行きます。新婦が到着すると火をおこした七輪のようなものを乗り越え、その先にある瓦を踏み砕くのです。これでもう育った家には帰らない、火を大切にする、つまり家を大切にすると言う決意なのだそうです。この日も最後はケータリングで食事会、新郎の自宅で行うので少し少なく50人ほど。

さて最後は20日の披露宴。こちらは200人ほど。日本とほとんど変わらない形ですが親族はドレスアップしますが友人たちはデニムで来る人も大勢いる。結構カジュアルな席のようです。黒一色で決める日本とは違うのでびっくりしました。
いや~、よく食べました、少し呑みました。体重は確実に5kgは増でしょう。

なんでも楽しくトライして外国の結婚式に出たのは2か国4回目。いつも新たな発見があります。それが実に楽しい。
それでは次号の“なんトラ”までごきげんよう。