なんだか年が明けてから体罰問題で大騒ぎで、柔道に飛び火して、オリンピックまで危うくなってきたような雲行きです。自分のやってきたスポーツでもそんな状況は当たり前のようにありましたし、良いことではありませんが必要悪みたいなものか、とも感じていました。
 でも、スポーツの原点がそれをやる人の自律、自立だと言うことを考えると、それに必要悪はいりません。絶対に。
 バスケットボールはボクにそれを教えてくれました。確かにトーナメントでは頂点を目指すのは当然のこと、でも人間という生ものがプレイするのですからなかなか思うような動きや、結果が出ることはないといえるでしょう。運がよければ優勝ということもあるでしょうがそれも、たった1チームです。すべてのチームが優勝を目指すかといえば、あながちそうとばかりもいえません。その時の駒の問題と、チームのケミストリーが大きなファクターとなります。選手をリクルート出来るチームはそれなりに、出来ないチームもそれなりに悩みを抱えているのです。
 表向きはいつも「優勝を狙っています」とは言いますが、長年そのスポーツに関わってきた指導者にとっては自チームの実力ははっきりと把握できているはずです。
 アメリカの高校のチームの指導者は教員がやっていたり、プロのコーチが務めます。大学はほとんどプロコーチといっていいでしょう。しかし両者にとってはっきりしていることは、大体がリクルートで連れてくるプレイヤーを基本にチームを構成するのです。そしてそのチームの中でもトライアウト(選考試験)をして選抜するのです。マイケル・ジョーダンが高校2年生の時に落ちてしまったことは有名な逸話として残っています。ご存知の方も多いと思います。
ですから一度チームに入るとコーチの考えるやり方のチームになるし、コーチは長期の休み前にそれぞれの選手にペーパーを渡します。A選手には体力的にはここまで上げて欲しい。B選手にはハンドリングのレベルをここまで上げておいて欲しい。と、すべての選手に指示のペーパーを手渡すのです。そしてその伸ばすための環境も、Cトレーナーと相談しなさい。とかこの映像を見て練習しなさいとかの指示を出すのです。
それで、新学期、最初の練習の時にその成果をしっかりチェックするのです。コーチの望む状態にまでやってこなかった選手はどうなるか、簡単なことです。ゲームに使われません。コーチはいるプレイヤーをどのように組み合わせてゲームをし、勝利に導くかが第一の仕事であり、そのために今いる選手のボトムズ・アップ(底上げ)をするかに、自律・自立を使います。
もちろん、普段の練習の中で技術的な指導もしますが、ファンダメンタル(個人の基礎技術)はアシスタントや個人にお任せということが多いと聞きます。国民性の問題が大きいと思いますが、俗に言うチームメイトは完全にライバルなのです。ですからライバルが落ちてくれれば自分のチャンスの幅は大きくなるので、助け合いなどという甘い感傷的なものは持っていないと言っていいでしょう。文句なしに皆で喜ぶのは勝った時だけ。だからどんな小さな大会でも表彰制度はしっかりとありますね。
同じようなミスを何度もくりかえすとコーチが注意する前にチームメイトから文句を言われます。その後にアシスタント、HCから言われた時には出場時間がなくなる時です。スポーツだけでなくマーチングバンドなども同じようなことがあると留学生から聞いたことがあります。「私にはなかったけれど、ミスを続けるとチームの仲間から徹底的に言われます、仲間からの注意の方が遠慮がない分きつい。ボコボコにされるような感じでした。スポーツチームの方も概ねいっしょでしたね」と語ってくれました。
日本の場合コーチ一人にすべての権限があり、個人の技術指導からチーム、日常生活まで…。
そろそろ日本も変わるころでしょう。一人がすべての責任を負うのではなく権限の委譲をせねばならぬときが来ています。すでに良いチームにはマネジャーに選手とのコミュニケーションをまかせたり、選任のトレーナーをつけたりしているチームもあるのです。
何か事故があったらそれで落ち込むのではなく、それを利用して素早くリカバーしなければなりません。そうすることで評価は決まってくるのは世の習いなのですからね。
それでは次号の“なんトラ”までごきげんよう。