BASKETBALL BIRTHDAY MOVEMENTが広がってきたかな? - なんトラ197

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2011年12月19日。大げさに言えば世界で初のバスケットボールの誕生日を祝うイベントが実現しました。朝10時から夜19時まで、5対5のゲームをズ~っと続けてプレイして行きます。そして点数は加算していくリレーゲーム方式としています。

日本人ケイジャーならば一度は代々木第2体育館のコートでプレイしたいと言う憧れの気持ちを実現してみたのです。

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世界にはたくさんのスポーツがありますが、いつ最初のゲームが行われたかがわかっているものはほとんどないと思います。ましてや、世界中で人気があり、どこの国でもやられているワールドスポーツとなると、まずないといって良いでしょう。野球? サッカー? ゴルフ? テニス?…。起源はいつなのか、まずもってはっきりしてはいません。

そんななか、世界で約4億5千万人のプレイヤー(サッカーは約2億4千万人)がいて、国際連盟に加盟している数は216か国、地域(サッカーが209、IOCが204)と言う競技人口の多いバスケットボールは、今から122年前の1891年の12月21日にアメリカのニューイングランド、マサチューセッツ州スプリングフィールドのインターナショナル・YMCA・トレーニングスクールでファーストゲームが行われたのです。現在のスプリングフィールド・カレッジです。

創案者は指導教官のジェームス・ネイスミス。「寒さ厳しい冬季に室内で出来る球技を」というコンセプトで人工的に考えられたスポーツなのです。

日本の各スポーツ団体は「○○の日」というように日をきめてそのスポーツをやるよう勧める記念日を作ったりしますが、まぁ、適当に日を決めています。しかしバスケットは歴史的にはっきり決まっているのです。にもかかわらず生誕の地アメリカも、世界連盟もお祝いしようとはしていないのです。

この12月21日をボクが知ったのは1973年の月刊バスケットボールを創刊してすぐのことですから40年も前のことです。

事あるごとにバスケ関係者の方々に、折角はっきりとした日が決まっているのだから何か記念のゲームとか、大会をやればいいのにと言いまくって行きました。そんなアイディアはすぐに沸き出てきましたので…。

しかし、誰も乗ってきません。学校体育の中のスポーツで育った人たちにはバスケットを楽しんでやるといった感性はなかったのでしょう。本当に冷たいものでした。でも、何か企画を立てるときには必ず12月21日ということを書いたり、コメントしたり、強調していったのです。

勝利至上主義のバスケットボールが少しずつ変わってきたのは1980年代の後半になってからのことだと感じています。NBAのゲームの放映が定期的に行われ、人間離れしたスーパープレイをみたこと、そして3ON3バスケが日本にも少しずつ入ってきたこと、さらにBS放送の開始でかなりの数のゲームが飛躍的に見れるようになったこと、NBA公式戦の開催などもあり、少しずつ、楽しむバスケットをするといった考え方が生まれてきたのでしょう。

それでもまだバスケの日を祝おうなどという考えには、さらに20年の時が必要でした。スラムダンク世代という言葉がありますが、週刊少年ジャンプの連載を見て育った世代はIT世代ともいえますがその連中が育ちあがり、彼らのライトな感覚が、いつ始まったか分からない他のスポーツとの差別化を面白がってバスケットをリプロデュースしていったのだと思うのです。

これが冒頭に書いた2011年のイベント実現のバックグラウンドだとボクは思っています。若者が中心で、われわれの年代はバックアップの軍団です。1973年からつぶやき始めて38年、ようやくです。何かを実現にもって行くのには、事ほど左様に時間がかかるものなのでしょう。

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そして次の章です。東京だけでやっていても広がりは知れています。他の地域も面白がってやってこそMOVEMENTになるのです。3年目の2013年にして乗ってくれたのが東日本大震災で被災した岩手県大槌町でした。何とかバスケットで元気のない町の活性化をと、考える運営する若者たちの乗りは素晴らしかったのです。11月17日の3ON3ゴリカップ(今年は名称が変わり晴子さんカップ)の後、4時間のリレーゲームを行ったのです。

さらに沖縄でもそのMOVEMENTの発芽が見られることになりました。bjの琉球ゴールデンキングスが12月8日にフィリピン台風30号救済チャリティーゲームとして対奈良戦の前座ゲームを企画してくださり、バスケの誕生日のお祝いと位置づけてくれたのです。

どんな形でもいい。バスケが好きならば日本中でお祝いをしたいという気持ちを出して欲しいのです。毎年広がって行ってくれると楽しい素敵な世界が出来ていくと思うのですが…。このコラムを読んで「われわれもやるぞ!」と思われた方は連絡をください。ノウハウをすべて差し上げます。待っていますヨ。

と言っていましたら、鹿児島からお話がありました。NBL2レノヴァ鹿児島のPRで開催(12月21日)と言うことです。楽しいものにできたらなぁと思っています。

それでは次号の「なんトラ」まで御機嫌よう。

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お医者さん関係が1500人も集まっちゃった。日本は大丈夫か?-なんトラ196

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話は2年前にさかのぼります。衛星放送のWOWOWが2011年11月23日に朝から晩までマイケル・ジョーダンの映像を流す企画をやりました。タイトル名は“マイケル・ジョーダンの日”たしか朝8時から背番号にちなんで夜23時までだったと記憶しています。
それこそいろいろな手法を使ってMJを料理? しました。その時点では、なぜこんな思い切った企画ができるのだろう、と思ったものです。考えてみると3つの理由が浮かび上がってきます。

1つ目はそれまでNBAの権利を持っていたJスポーツがその権利を手放し、違う局でやっているんだぞと言う差別感を出すためというものがあったのでしょう。

2つ目はWOWOWは個人から視聴料を取るにあたって、バスケ好きにとっては絶対的な人気を誇るジョーダンのパワーを使って一気にファンをあつめてしまおうと言うこともあったと思います。マイケルの現役時代を知る年代、30~40代がこの際、契約をしてくれるように考えたのではないか? と思われます。

3つ目は円高の効果です。いまでこそ円は100円近辺を行ったり来たりしていますが、当時2011年頃は80円を割るかどうかという時でした。この20円の差は大きい。外国から買うものはすべて2割引なのですから、映画であろうと、スポーツであろうと外国ものの素材が多いWOWOWにとっては言うことなしの時でした。
TV業界の事情通に言わせると“WOWOW一人勝ち”という表現をしていました。なんとなく納得したものです。

さて、MJを料理する方法の1つとしてパソコンに動画を流す新しく注目を集めていたUストリームという新しい手法も使ったのです。渋谷の公園通りのスタジオにファンを集め、MCの方(名前を忘れました)と芸人であり、一橋大の講師も勤めているサンキュー・タツオさんらとMJについて語る2時間ほどの番組でした。そこに来ていたファンの一人がお医者さんであり、日本医師バスケットボール大会の役員をすることになっていたWさんだったのです。

収録が終わったあと彼が話しかけてきて、MJの話をひとしきりした後、その大会の存在を知る所となりました。もちろん、医学生たちのリーグ戦や全国規模の東医体(東日本医科学生総合体育大会)や、日医体(日本医科学生総合体育大会)のバスケ大会があることは知っていました。最初はその大会か? と思ったのですが、聞いていくうちに現役のお医者さんがゲームをするというのですから、俄然興味がわきました。それも、約1500人位のお医者さんが1か所に集まるというじゃありませんか。

真剣に勝負にこだわるVリーグ、バスケを楽しむEリーグ、そして女子のLリーグ、90チーム以上の出場が見込まれるということでした。11月2、3、4日の3連休に行われ、3日夜に“レセプションで短くて好いからスピーチを”ということでした。
NBAの話ばかりでなく、今ボクが関わっているいろいろなバスケに関する活動の話をして欲しいと言うことだったのでお受けしました。世の中に影響力のあるお医者さんたちが少しでも興味を持ってくだされば、草の根のレベルでの広がりが期待できようというものだからです。

3日に試合を見ました。ゲームはどの試合も白熱して、レベルはかなりのもの。皆、一生懸命で日ごろの運動不足を補うかのように動いていました。そして試合が終わると皆汗いっぱいの晴れ晴れとした顔になっています。
20代、30代の方々のプレイは普通の市民大会レベルの動きですが、僕が興味を持ったのは40台オーバーのプレイ。さすがに継続されている方々が多いようで見事なプレイが随所に見られました。こんな元気なお医者さんに診察してもらえれば治療とともに元気ももらえるのではと感じたものです。

超OBは70代、いつまでも続けて欲しいと思ったのはボクだけではないでしょう。そんなOBの方が面白い表現をされていました。
「島本さん、われわれは常に患者をみていますが、病気はなんとかなる、治せるんですよ。でもね、癖(へき)はなおせない。ここに来ている連中は難しいですね」。
という言葉は、その夜のレセプションでも大いに発揮されておりました。ちょうど同時期に愛知の一宮で40歳以上のシニアバスケの全国大会の八幡カップが行われておりましたが、そちらに出られてから医師バスケ大会に馳せ参じたという猛者もおりました。
バスケに取り付かれた人を、ボクは今まで“病気”と表現していましたがこれからは“癖”ということにしようと思います。
良い癖だと思っていますのでそんな方々とせいぜい仲良くさせていただこうと思った第22回全国医師バスケットボール大会の取材でした。

それでは次号の“なんトラ”でまたお会いしましょう。

後の話があります。
レセプションの時に「是非、能代に!」とお誘いしました所、去る7月5、6日に岡山、兵庫、東京、千葉から12人のドクターが来てくださいました。お忙しかったろうに、本当にありがたいことです。これで突破口は開けたので、毎年出来たら楽しいんですが。相談しながら進めると致しましょう。


疾風怒涛の10日間‐なんトラ195

9月29日はスポーツ祭東京2013(多摩国体)の競技第1日目。ボクの住む日本で2番目に小さな市の狛江でもバレーボール少年男子、つまり高校男子の大会の2回戦まで、10試合くらいを行いました。
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1973年の月刊バスケットボールの創刊に関わって以来、国体の取材は毎年しておりましたが、今大会は役員というお役目、これは初体験。興味津々で務めました。
本番2年前から約20回以上のミーティングがありました。式典委員会というところに所属して不慣れながらもいろいろと話し合ったものです。ともあれ非常に良い体験でした。

ですから当日はなにもやることはないけれど、行かなければならないという状況に置かれました。全国各地でやっていた、どこにでもある国体の風景が我が家から自転車で2、3分位の所にあるというのは非常に不思議な感覚でした。それだけでは面白くないので役員ではなく報道で入ってみました。どのようなサービスをするのか体感したかったからです。プロの必要とするチームのデータは不完全でしたがそれなりのボリュームがある資料を渡されました。選手の身長・体重くらいは入れておいて欲しいものです。

じっくり観たのは香川対神奈川の一戦。神奈川が2-0で勝ったのですが迫力十分、高校生は良く跳ねるし、良く動く。見ているだけで気持ちがスカッとします。やはりスポーツはアリーナに出掛けて行って生で見なければいけない、ということを再確認いたしました。
通常はプレイする場としての利用しかない狛江市民体育館もアリーナにスタンドが組まれ、非日常の空間となっておりました。
普段はあまり体育館に用のなさそうな方々が見に来られていました。市の広報紙で見て、出身の県のチームが出場するからということで見に来られたママもいるなど、中々良い、素敵なシチュエイションでした。

この“なんトラ”を読んでくださっているスポーツ好きの方も、おそらく近くでやっている競技を観られたと思いますが、バスケットボールだけでなくどんなスポーツでも結構、楽しいものです。その種目の全国的にもハイレベルのスポーツを見て感じることが出来るという、身近にある贅沢ですね、これは。

当たり前のことですがバスケットボールも観に行きました。沖縄・前原高校の安里幸夫先生からも連絡を頂いており、10月4日の初日に立川市泉体育館での沖縄対東京の一戦を観戦いたしました。この5月の連休の能代カップのご縁です。
東京の平均身長が185cm、沖縄の最高身長が187cm、160cm台の選手も2人いるという、高さでは圧倒的差がありました。1978年の山形インターハイの辺土名旋風(160cm台のちびっ子軍団でセンターが170cm台で第3位)を期待しましたが、東京は地元でした。多くの応援とともに隙がなく、大差での敗戦となってしまいました。
試合終了後、安里先生にお話を聞きに行った時には「明日帰ります」という話だったのですが、台風で飛行機が全便欠航になってしまったのです。
そこでボクは提案しました。「もし差し支えなければ、法政大学の多摩キャンパスで練習しませんか?」…と。
先生も考えておられたようです。このまま、あくる日も観戦して、翌日帰るのでは選手たちも気が晴れないだろう、何か良い手はないかと。そこに乗っていただけたのです。
5日の法政クラブのバスケ教室に沖縄の国体高校代表チームが全員来てくれました。小学3年生から中学2年生までの約40人に高校生12人。人数の迫力がすごかった。小学生の子どもたちも中学生も、憧れの目で高校生のプレイの一つ一つを見て、一生懸命吸収していたようです。一緒にプレイしつつ教える高校生も楽しかったようです。
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コーチという存在はいかに子どもたちに刺激を与えられるかにかかっているのではないかとボクは思っています。そんな意味ではボクの方は当然としても、安里先生も教え子たちに刺激を与えられたのではと勝手に思っています(すみません)。
普通の子どもたちにとってトップレベルの技術を目の前で見ることは稀なこと、さらに直にいろいろコツも教わっていたようでした。
最後は選手たちにサインをして貰ったり写真を撮ったり、みんな感激していました。法政クラブの子どもたちにとって一生の思い出になったに違いありません。
HCの安里幸夫先生、ACの竹元一郎先生、安谷屋健太先生の太っ腹のご英断に感謝です。本当にありがとうございました。

それでは次号のなんトラまで御機嫌よう。


TOKYO 2020 について。 – なんトラ194

ボクは原稿を書くときには大まかな題材を決めて、ず~っと考えています。前月号の入稿をした後からすぐに考え始めます。どちらかというと大雑把な方でありながら、書きたいことや、やりたいことはなかなかかんたんに出来るものではないと思う慎重派なので、ぎりぎりまで執り掛かれないことが多いのです。悪い癖です。

8月6日から13日まで、マニラ(フィリピン)に行ってヤング・ナショナルチームを見て来ましたのでそれについて報告しようと思っていたのですが、9月7日のブエノスアイレス(アルゼンチン)のIOCの総会でTOKYO 2020が決まってしまったので、急遽そちらにしようとchange mind してしまいました。今回はその悪癖の遅筆が、幸いしたのかもしれません。まぁ、なるようにはなるものです。

いろいろと切実な問題を抱えているわが日本です。とくに「福島の放射能の問題解決と宮城、岩手の被災地の復興が先でしょ!」という意見はまったくその通りだと思います。

でも、そんな条件を抜きでとにかく良かった、TOKYO 2020が決まって、と思っています。阿部総理大臣もIOCのプレゼンテーションの場で世界にはっきりと宣言したのですからやらなければいけないんです。覚悟を決めてです。両方ともしっかりと…。やれなければ代えれば良いんです。

招致委員会の方々はしっかりと良い仕事をしました。時々変なことを言ってしまう人も約1名いましたが“Good Job!”でした。今後のことは、継ぎのレベルにバトンタッチされ現場サイドに下りてくるのでしょうが、新競技場やインフラのことはさておいて、それぞれの実施種目の競技団体は7年後に向かって努力を積み上げていくことになります。

現時点である程度の実績を上げている種目は良いのですが、わがバスケットボールは褌(ふんどし)を締めなおしてかからねばなりません。なんていったって先のマニラでのアジア選手権では9位という成績なのですから。極端なことをいえば30歳以上の選手は選考の対象から外れて来るのではないかと思うのです。今、18歳の渡辺雄太が7年後には25歳で一番脂の乗り切った年頃になるのです。しかし、本当の目標は東京後の恒常的なオリンピック、ワールドカップへの出場なのです。

この7年間をしっかり強化して2024年のオリンピックにはアジアのトップで通過して出場するくらいの力を持って欲しいものです。招致委員会もオールジャパンで臨んでよい結果を出すことに成功しました。バスケットボール界もオールジャパンで臨まざるを得ない時に来たといえます。NBLだbjだなどと角を突き合わせている時ではないのです。大同団結して臨まなければいけません。何時やるの…という時なのです。

1964年の東京・オリンピックの時にボクは18歳でした。中学からスポーツを一生懸命に始めたボクにとってオリンピックには素晴らしい夢を見せてもらったと言えます。いろいろな競技を観戦しました。バレーボール男女、バスケットボール、ホッケー、陸上競技、自分のやっていたバレーボール以外はルールも詳しく分かりませんでしたが、楽しかったことだけは覚えています。この“白昼夢”の存在がボクの今日までスポーツにかかわった原動力となっていると思います。

身体も小さく、秀でた所を探すのが大変なボクの最高の成績は中学の都大会ベスト8です。全国大会など遠~い存在でした。でも、しつこく好きであるというものを大切にして追い求めているとなんとかなるようです。人生ってそれほど悪いものではなさそうです。

それからあっという間に56年ですから、足し算をすれば容易に年齢は知れてしまいますが、64年の時と現在は置かれている周囲の状況はかなり違います。テクノロジーは凄い進歩ですが、失われつつある人のつながりの復活が大きくクローズアップされている今、かなりわれわれ民間の力が必要になるのではと感じます。

これこそ、われわれ一般のファンがどのようにオリンピックと関わるか? という答えなのだと思います。最前線でゲームをする体制を整える方々には出来ないことなのです。諸外国から来る人々にとって楽しいもの、それは競技だけではないのです。日本って楽しい、面白いと世界に思わせ、知らせねばならないのです。これから7年の間、何千万人、いや何億人かの外国の人々が来るのですから。

そんな“おもてなし”が出来たらわれわれは本物のメダルを獲得したといえるでしょう。

それでは次号の“なんトラ”まで、ごきげんよう。


トホホ! ジョーンズカップは観られなかった。 – なんトラ193

台湾に行ってきました。

主目的は我が家にホームステイしていたアンジェラの弟君の結婚式に招かれたからでした。もちろん、2年前の彼女の結婚式にも出席していますが「出て行ってしまう娘と、家を継ぐ長男のとは違うから是非来て祝ってください」とアンジェラと父君もおっしゃって下さったので行くことになったのです。日本との相違も分かって面白そうだと言う好奇心も凄くありましたのでトライです。

7月11日に発って22日までの滞在という12日間ですから、台湾訪問としてはかなりの長めだし、ちょうどJones Cup(ジョーンズカップ)の最後の美味しい部分を観戦できるかも…、と勇んでおりました。まぁ、訪問先は新竹(シンチュウ)と台中(タイチュン)だけれど新幹線を使えば1時間ほどで台北(タイペイ)着くし、チャンスを狙っておりました。

ジョーンズカップは毎夏行われる招待試合で8~10チームが参加します。現在は男女とも行われておりますが、スタートは1974年に中国がIOCに加盟するとともに台湾が追い出された形になってしまった時のことです。当時のFIBA事務総長のウィリアム・ジョーンズは一考します。

「いままでアジアのバスケを支えてきたのは中華民国(台湾)だが、中華人民共和国の方が大国であり将来性もある。そこで一度台湾には外れてもらって中国を入れよう。だが、外れている間台湾のレベルが落ちてバスケ競技者が減るのも困るので、自分の名前を冠したカップをプレゼントして世界各国からチームを呼んであげよう。そこまで責任を持つ。そうすればレベルも保てるし人気も得られるだろう」

と、こんな経緯で始まったジョーンズカップ、いまやそんな裏の話はかなり古い人でなければ知らないことになってしまっています。台湾も日本もです。ですがかなり良いチームが出場する伝統はまだまだ健在です。だからボクは観ておきたかったのですね。

ところがところが、いやぁ~なんだか訳の分からない行事? が盛りだくさんなのが結婚式って言うやつで、人の出入りは多いし、親戚関係の会う人会う人すべてが2度目なので、皆ニコニコしながら寄ってきてカタコトの日本語交じりで握手を求めてきます。そういえばこの人は父方の…、こちらのおば様は母方の…、と言うように少しずつ思い出しますから時間のかかることかかること。結局、わがジョーンズカップ観戦作戦は徹底的な台湾式結婚セレモニーのフルコート・プレスに対応できず、見事玉砕となってしまいました。

でも、TV観戦を試み3~4試合を飛び飛びで見ることが叶いました。やはりTV放映の中心は台湾戦がらみ。ボクが取材やアジア連盟のエディトリアル・コミッティー関係の仕事がらみで見ていた台湾チームとは一皮も二皮も剥けた良いチームに仕上がっていて、この後のアジア選手権での活躍が大いに期待されていました。

わが日本チームはついに観る機会無しで終わってしまいました。マニラでのFIBA ASIA選手権で見れると思うので次に回すと致しましょう。

さて台湾の結婚は大変です。婚約式、結婚式、結婚披露宴と3部に分かれています。

まず、14日の婚約式、お嫁さんの実家にお婿さんの親戚一同が行ってお婿さんがお嫁さんのご両親に許しを請うと言う形式。近くの大きなレストランでお嫁さんの友人を中心に招いて婚約レセプションの大食事会。これだけでも150人は出席していたようです。面白かったのは食べきれないほどの食事が出るのですが、お婿さん側の客(すなわち我々)は早めに残して出るのです。それはすべてお嫁さんのお客さんの方がテイクアウトする習慣になっていると言うことです。

そして17日は結婚式、新郎の友人5人くらいがベンツを運転して新婦とその友人を迎えに行きます。新婦が到着すると火をおこした七輪のようなものを乗り越え、その先にある瓦を踏み砕くのです。これでもう育った家には帰らない、火を大切にする、つまり家を大切にすると言う決意なのだそうです。この日も最後はケータリングで食事会、新郎の自宅で行うので少し少なく50人ほど。

さて最後は20日の披露宴。こちらは200人ほど。日本とほとんど変わらない形ですが親族はドレスアップしますが友人たちはデニムで来る人も大勢いる。結構カジュアルな席のようです。黒一色で決める日本とは違うのでびっくりしました。
いや~、よく食べました、少し呑みました。体重は確実に5kgは増でしょう。

なんでも楽しくトライして外国の結婚式に出たのは2か国4回目。いつも新たな発見があります。それが実に楽しい。
それでは次号の“なんトラ”までごきげんよう。