なんトラ83

 2001年の冬のことです。
 17、8年振りにスキーをしたのです。(真夏になろうというときに変な出だしになってしまいましたが)土、日とフルに滑りました。スキーの板そのものの素材の進歩と、かなり短いのが主流になっていたので、よく滑るは、曲がるはで、嬉しくなって我を忘れて滑ってしまったのがいけなかったようです(?)。
 まだ、55歳前だったし、その後、東京に帰ってきてからも月曜に2時間、水曜に2時間テニスをしました。水曜の最後のゲームのときにそれは起こったのです。左足首にボールをぶつけられたか、思い切り蹴っ飛ばされたようなショックでひっくりかえりました。立とうとしても全然駄目。アキレス腱の完全断裂でした。
 まるっきり痛くはないし、不思議な感じでした。今までず~っとスポーツはやってきましたが、致命的な怪我は一度もなかったし、対応はどうしたものかと苦慮したものです。ただ、断裂の理由はしっかりと把握しておきたかったのでつらつら考えました。下半身の使い過ぎで疲労が蓄積していたようです。そこに帰結いたしました。4日間のスポーツには、さすがに身体が悲鳴を上げたのだと思います。今、考えればです。

 こういう時はタイミングが合わぬもので、水曜日に断裂、木曜日に大学病院へ行きましたが、診察はしてくれて手術をすると決まったものの、翌週の水曜が手術日ということで1週間待ちということに…。命に別状のない外科治療的なものはあっさりと決められてしまいました。
 全力で突っ張りつつ、突っ走って来たので、神様が休めと指令を出したのだと思います。
 で、入院ということになるのですが、ベッドも空いていないので日曜日にとなりました。仕事の段取りと、時間を有効に使うにはどうするか? ということを週末に考えた訳であります。身の回りの? 整理をしてみると、時間がなくて読めずにいた硬めの書籍がたくさんあるのが判明しましたので、それをすべて読破する生活にしようと考えたのです。20冊くらいはありました。
 術後は時間だけはたっぷりとあります。ボクの身体が持っている自然治癒力に後は任す以外方法はないと担当ドクターに言われましたしね。手術の翌日まではかなり痛かったのですが、それ以降、ひたすら傷口がふさがるのを待つことになりました。
 そこで夜寝る前に読み、朝起きては読み、昼寝の後また読みで、3週間の入院でお見舞いに貰った本を含めると50冊は読んだのではないかと記憶しています。バスケットボールを生業(なりわい)としている関係から、アフリカン・アメリカン(黒人)に関する本をかなり集中して読み漁りました。中で一番印象に残ったのがアーサー・へイリー著の“Roots(ルーツ)”でした。

現在、NBAで活躍している選手の85%はアフリカン・アメリカンの先祖がどのようにアフリカから連れてこられたのか? また、どんな苦労をしてきたのか? どのように自由を勝ち取ってきたのか? が劇的に描かれている名作でした。この“Roots”を読む前と、読んだ後では、自分の中で何かが変わったように感じています。TVで話をする時も慎重に話すようになりました。
その後、病院でベッドに横たわっている時にも常に、いろいろな選手を取材した時の返ってきた言葉が脳裏に浮ぶようになりました。そして、最後には、ボクのRootsは? という所に考えが行くようになっていったのです。ボクの父も、ボクも東京生まれの東京育ちです。しかし祖父は四国の高知県から出て来たと聞いています。それまでも、ごく軽い気持ちでいつかRootsの地を訪ねてみたいと思いはしましたが、現実のものにはなりませんでした。この時、絶対に行かねばならんと決心したのを覚えています。
 
そして、先日6月2日から4日までついに「Rootsを辿る旅」が実現したのです。
 人生の暦が一回りした3度目の成人式の歳にです。
 前置きが長くなりましたが、次回の“なんトラ”にその旅の模様をお伝えしたいと思います。自分なりの決算の旅でした。
 それでは次回の“なんトラ”までSee You!!


能代にはプロバスのチームも存在できる素地は十分できています。 – なんトラ82

 もう、1か月もたってしまいましたがちょうどゴールデンウィークの後半の連休に、秋田の能代へ仕事で行ってきました。もちろんバスケの取材兼、昨年からお手伝いしている熱戦ビデオ(だんだんDVDになってきていますが)で有名な“リアルタイム”のシリーズの解説です。

この能代カップという大会は能代工業高校がホストになって開催しているインビテーショナル・トーナメントですが、今回で20回記念大会という由緒ある大会になっています。
 高校バスケのコーチの世界では、インターハイ、国体、ウインターカップに次ぐ第4の全国大会というような位置づけとみられているトーナメントに成長し、能代に招待されたチームは大体上位に食い込む実力を持っているようです。
 昨年は兵庫国体の県選抜、香川の善通寺一高、大阪の市立桜宮高、千葉の市立柏高そしてアメリカのモントロス・クリスチャン・ハイスクール。
今年は宮城の明成高、千葉の市立船橋高、宮崎の延岡学園高そしてアメリカからダマーサ・ハイスクールが来ているのです。

この、アメリカの2校は常にナショナル・ランキングでトップクラスに位置する高校でNBAの選手も多く輩出しており、モントロスは現在アイビーリーグのコロンビア大で活躍しているKJこと松井啓十郎君、ファイブスター・バスケットボール・キャンプHCの岡山恭崇さんも留学していたWCC(ウエスト・コースト・カンファレンス)のポートランド大でスターターになっている伊藤大司君の母校。昨年は彼も来日? しました。
また、ダマーサもNBAグレイツのエイドリアン・ダントリーやダニー・フェリー、そして日本にも縁の深いジョン・パトリック(昨年スーパーリーグ優勝のトヨタ自動車のHC)さんの母校であり、カレッジのスターを挙げたらキリがないほどいます。来日したメンバーにもお父さんと叔父さんがシカゴとワシントンで活躍した(ハーベイとホーレスのグラント兄弟)207cmのジェライ・グラント(クレムソン)、やガードとフォワードの両ポジションをこなすオースティン・フリーマン(ジョージタウン)らがいる掛け値なしの強豪です。

これまで、こんなレベルの高い相手と試合をするのはナショナルチームクラスからでしたから、今の高校生は恵まれています。なるべく早い時期に最高のレベルを体感するということが重要なのですからね。
そんな意味では、地方の小さな都市でもやれてしまう能代のバスケ環境のディープなこと、また関係者の皆さんの努力には頭が下がります。
さて、この大会の解説は先代の能代工監督の加藤廣志先生とともに行いました。廣志先生も基本的に良い点を見つけてのアドバイス的な解説をしていただきましたが、明成高のパッシングゲームは褒めておられました。確かにダマーサとの対戦でもこの戦法は良く効いていましたし、苦しめてもいました。ボクが見ても小気味良いチームプレイ振りでしたが、この試合後にアメリカの指導者の大きさと深さを、感じさせられる出来ごとがあったのです。

ダマーサのアシスタントコーチのデイビッド・アトキンスさんが明成の佐藤久夫コーチのところに来て、試合前にアップを兼ねてやっていたパッシング・ドリルはどういう点を注意しながら指導するのか? と教えを請いに来たのです。彼は206cmはあろうかという長身のスキンヘッドの白人です。ダマーサが体育館に入ってきたときどこかで見たことのあるコーチだなぁ、と思っていたら昨年のモントロスのアシスタントで来日していたのです。トランスファー(移籍)していたのです。
彼は来日2回目だけに日本の実力も分かっていたし、「とくに最終日の試合はアメリカでもなかなか体験できない、完全アウェイのゲームになる」とマイク・ジョーンズHCに進言していた程の方です。それはそれは、真剣な面持ちで質問していました。先達のアメリカの強豪校コーチがここまで開けっぴろげに聞いてくるのか…。驚きでした。
しかし、これがアメリカの強さなのだなぁ、とその時、ボクは感じたのです。自分たちにないものを持つ優秀なコーチには、どこの国であれ、素直に教えを請う。この姿勢です。
良いものを見せてもらいました。
まだまだボクはトライする姿勢が足りないな、と自戒させられたワンシーンでした。こういうことが取材の現場にはゴロゴロ転がっていますが、自分を磨いていないとそれに気が付かないこともあります。日々これ精進しなければいけません。ホントに…。

トーナメントは初日が2300人、2日目が2800人、最終日は満員札止めで立ち見を入れたら4200人位は入ったといいます。
見事なものです。高校のレベルでもこんなに入るのです。プロチームの必要な時期が来ていると感じたのはボクだけではないと思います。何しろ秋田には若者の勤める仕事場がないので、みな都会に出て行ってしまうのですから。
秋田に、能代にバスケが“必要不可欠”と感じている人がいるとするならば、プロチームがないのは“画竜点睛を欠く”ということになるでしょう。それだけのポテンシャルは十分にあるとみています。

それでは次回の“なんトラ”までSEE YOU!


車椅子バスケの世界へようこそ!

昨年、日本で世界選手権が開催されたことはまだまだ記憶に新しいところです(と言ってる本人が実は忘れかけてましたが)。では、その少しだけ前にオランダでも世界選手権が行われたのはご存じですか? 世界車椅子バスケットボール選手権、通称ゴールドカップです。2002年に北九州でも開催されたことは、世界選手権のレポートでも触れたとおりです。
健常者のほうはご存じのとおり、男子は開催国ということで出場し、ブラジルで開催された女子の世界選手権には日本は出られませんでしたが、車椅子のほうでは日本は男女ともに出場しており、男子は7位、女子は6位。世界的に見れば健常よりも車椅子のほうが日本バスケのレベルは高いということになります。障害者スポーツの場合、国によって福祉の環境も違いますし取り組み方に温度差があるので当然といえば当然ではありますが、日本では国際競争力という点で車椅子のほうが優っているのは事実です。
その日本の車椅子バスケの最強チームを決めるのが、毎年ゴールデンウィークに行われる「内閣総理大臣杯日本車椅子バスケットボール選手権大会」(イスバス界では「選手権」と呼ばれています)です。僕は2002年から毎年観ていて、早くだむだむ探検隊で紹介したいと思っていたのですが、いつも5月2~4日なのに昨年に限って4月28~30日に変更され、bjリーグプレイオフと重なってしまって試合もほとんど観ることができませんでした。今年はいつも通りの日程に戻ったのでようやくお伝えできる、とこういうわけです。

残念ながら2日と3日は諸々の都合で観に行くことができず、4日のみの取材。さらに、当日も朝からちょっとした用事を済ませなければならず、結局東京体育館に着いたのは11時頃。準決勝は既に終わっちゃってました(泣)。この時間は、毎年車椅子バスケ体験講座がサブアリーナで開かれていて、それも少し取材して紹介するつもりでいたのですが、次の機会にお預けです。
体育館に入ると、正面に受付があり、まずはそこで取材の申請です。この辺りで「当日券売り場はどこだろう?」という様子でキョロキョロしている人を結構見かけるのですが、この大会、国内最高峰の大会にもかかわらず入場は無料。見る側としては大変結構なことですが、これだけ大きい体育館を使っているのに運営は大丈夫かいなと、ついつい余計な心配もしてしまいます(爆)。
今年からフロアへの立ち入りについて厳しくなったそうで、僕もビブスを着用してフロアに下りていきます。すると、前方からノシノシと僕のほうに歩み寄ってくる人が……その人の名は遠藤恭与さん。日本車椅子バスケットボール連盟(JWBF)の広報担当を務める女性です。 僕が初めて車椅子バスケの試合を見たのが5年前のこの「選手権」で、そこで「ボランティアスタッフの方は、大会終了後の懇親会に是非ご参加ください」という場内アナウンスを聞いて、一緒に観ていた知人と「行っときますかぁ」とスタッフじゃないのに図々しく参加させてもらい、そこで彼女と知り合ったのです。当時は彼女も僕と同じ“取材する側”の人間で、それ以前から車椅子バスケを追いかけている人。関係者からも「まめ」の愛称で親しまれている(?)存在なのです。
その「まめ」と二言三言交わして、しばらくすると携帯電話にメールが来ました。差出人はヒステリアメンバーの上岡麻梨さん。メンバーの方は会報誌等でもご存じかと思いますが、バスケ好きが高じて能代やアメリカまで行き、ついには地元・佐野にファイブスターキャンプを招致しちゃった、あの上岡さんです。そして今度はこの選手権に興味を持ってくれて、事前に連絡をいただいたので「じゃあ当日、会場に着いたら連絡ください」と言ってあったのです。
スタンド席で上岡さん・そのお友達・くーちゃんと合流。ちょうどジュニア代表とポラリスの会(元代表選手等、車椅子バスケに長く携わっている方々が中心の団体)がエキシビションマッチを行っていたので、その試合を一緒に観戦しました。ほどなくして上岡さんが「車椅子でもショットクロックは24秒なんですか?」。さっそく来ました、“車椅子バスケを初めて観た人が抱く率直な疑問”。というわけで、ここで簡単に車椅子バスケのルールや特徴をまとめてみましょう。

といっても、健常バスケとの大きな違いといえば「ダブルドリブルがない」ことくらい。5人対5人でやるのはもちろん、コートの広さもリングの高さも健常の国際ルールと同じ。3秒ルールや24秒ルールからファウルの種類まで、ルール上の違いはほとんどないに等しいのです。
ダブルドリブルはありませんが、トラベリングはちゃんとあります。ボールを膝の上などに保持した状態で3回以上車輪をこぐとトラベリング。2回こいだら必ずドリブルを突かなければならないわけです。ドリブルしながら走ることはできない(片手でこぐとまっすぐ進まない)ので、ダブルドリブルがないということですね。したがって、1回ドリブルを止めてシュートフェイクしてからまたドリブルで相手を抜き去るという、某超有名バスケ漫画の赤い髪の主人公が試合で犯したチョンボも車椅子ではOKです(実際によくあります)。
あとは、例えば座面の高さや車輪の大きさ等の規格、座面から腰を浮かせてはならない、といった車椅子を使うことで必要なルールがある程度。ただ、1つだけ覚えていただきたいのが「持ち点」ルールです。障害者といってもその障害の重さは人によってさまざま。障害の重い人しかいないチームは、障害の軽い人ばかり集めたチームには勝てません。そういったチーム間の格差をなくすために、個人個人に1.0~4.5の持ち点(数字の小さいほうが障害が重い)をつけた上で、コート上の5人の合計が14点以内と定められているのです。

話を戻しましょう。試合はポラリスが経験の差を見せつけ、ジュニア代表を破りました。そしてしばしの空き時間に入ると、上岡さんがまた一言。「プログラムって売ってるんですかねぇ?」。そういや、僕は取材で入るので資料としてもらえますが、これって売ってるんだっけ? 無料で配布してるんじゃないかなぁ? その後の3位決定戦からはフロアで取材するということもあって、とりあえず3人で正面受付の所まで行ってみたら、売ってました、1部100円で!! 当然2人とも購入です。
そこで一旦2人とは離れて僕はフロアへ。3位決定戦の対戦カードは宮城MAXと清水MSTの対戦。前日、清水MSTが勝ち上がっているのを知って「どこ? 初出場でいきなりベスト4?!」と思ったのですが、何のことはない、去年まで明和BBCと名乗っていたチームでした。スポンサーがついて新たにチーム名をその会社名から取ったとのこと。ホストクラブを経営している会社だそうで、プログラムの広告欄にもそれらしき写真が掲載されています。まさか選手がそこで働いてる……わけないか。
そんな話はさておき、試合前のアップを大会本部近くで見ていたら、また知ってる顔をみつけました。ここ数年、ボランティアスタッフとして必ず参加している室田直志さんです。2004年の仙台ABC、世にいう「仙台の奇跡」を一緒に目撃し、それ以降代々木第二体育館に行けば大体会うというバスケバカ仲間であり、関係ありませんが小学校の7年先輩でもあります。さらに関係ありませんが、僕の父が非常勤講師として働いていた某高校での教え子でもあることが大会終了後に判明しました。何だか切っても切れない運命を感じます(爆)。
代々木が長期改修工事中だったこともあり、室田さんとは久しぶりにお会いしました。会うといつもその日の試合のことやその時のバスケ界の話題について話をするのですが、この日も「今年はアパッチの試合もあまり行けなくてね~」とか「オーエスジーがbjに行ったら新リーグはまた危ないですよねぇ」なんて具合にバスケ話に花を咲かせながら、しばらく一緒に試合を見ました。あ、ちなみに勝ったのはMAXです。

さて、いよいよ決勝戦。この試合くらいはちゃんとレポートしときましょう(汗)。史上初となる2度目の3連覇がかかった名門・千葉ホークスと、初の決勝進出となったNO EXCUSEの顔合わせ。今大会の戦いぶりも対照的で、ホークスが3試合とも30点差以上で順当に勝ち上がってきた一方、NO EXは1回戦から2点差という厳しい立ち上がり。しかし2回戦で代表のエースセンター大島朋彦を怪我で欠いたワールドBBCを破って勢いに乗り、準決勝では強豪MAXを2点差でかわして見事ホークスへの挑戦権を得ました。スポーツドクター辻秀一先生主宰のエミネクロスが抱えるチームで、年々強くなってきてはいましたが、ついに頂点を狙える位置まで来ましたね。
1Q、ホークスは18歳にして代表の主力となっている香西宏昭がアウトサイドから積極的に打ち、対するNO EXはこちらも代表選手の菅澤隆雄を中心に果敢にインサイドへ飛び込み、両者互角の戦い。ホークスがなかなか5点差以上リードできず、その間にNO EXが追い上げては香西のミドルで突き放すという展開で進み、前半は28-28のイーブンで終えます。ここまで両チームともディフェンスが良いですね。NO EXにとって気になるのは、菅澤と並ぶ得点源・小山文律のファウルトラブルです。
後半に入ると、試合の流れが一変します。立ち上がりNO EXが速い展開を見せると、すかさずホークスはオールコートディフェンスを敷いてきました。これでNO EXの得点が止まる間に、ホークスは代表G京谷和幸を起点にハイポストシュートを多用し、一気に14点差をつけました。4Qになると焦りからかNO EXは攻め急ぎ、遠めの位置から早打ちになってしまいます。菅澤も疲れで動きが鈍り、逆にホークスは最後まで走力が落ちませんでした。68-48。ホークスが史上初となる、2度目の3連覇達成です。
試合後の表彰では、決勝で32得点の香西が当然のようにMVP(2年連続2度目)、ベスト5には前述の京谷と小山の他、森紀之、安直樹(以上ホークス)、寺田正晴(NO EX)が選ばれました。安選手といえば以前ここでもお伝えしたとおり、Legendや早稲田祭シンポジウムにも登場した人ですね。残念ながら今年は代表から漏れてしまいましたが、その実力は相変わらずといった感じです。それから、ご存じの方もいるかと思いますが、京谷選手はかつてジェフ市原でプレイした元Jリーガー。今はまるでプロレスラーのような上半身をしています。

大会終了後、上岡さん・くーちゃんと一緒に体育館を後にして、食事に行きました。しばらくして遠藤さんと室田さん、そしてアテネパラリンピック女子代表でマネージャーを務めた柴田あゆみさんも来てくれました。そこでの話題は当然ながら車椅子バスケ。特にくーちゃんは、隣のテーブルでイカスミスパゲティを食べている女性の口元が気になりながらも(爆)、「面白かった!!」と言ってくれました。帰りのバスの中でも興奮冷めやらぬ状態だったようです。
文章でしかお伝えできないのがもどかしいのですが、車椅子バスケは障害者がやっているとは思えないほど迫力もあるし、一度観たらまた観たくなるはず。僕などは、あんまり健常のほうばかり見ていると「イ、イスバスが観たい」と禁断症状が出てくるくらい(←本当です)。上岡さんとくーちゃんもまた観に行ってくれると思うし、是非皆さんにも観ていただきたいと思います。

〔ついでに告知のコーナー〕
近々、車椅子バスケ絡みで僕個人から皆さんにお伝えしたいことがありまして、島本さんのご好意によりヒステリアのHPで発表させていただきます。しばしお待ちください。


プロバスケットボール“bj”の2年間から、何が読み取れるか? – なんトラ81

 bjのセカンドシーズンが終わり、プレイオフの結果も出ていろいろな数字も出てきました。
 記念すべき最初のシーズンはすべてにわたって手さぐり状態だったのに比べ各チームともずいぶんと手馴れてきて、ゲームのスタイルにも特徴が出てきたように思います。
 ここでボクが書くのはチームが勝った、負けたということではなく、どの位リーグとして成長したのか、また外側から見ての熟成度はどうだったのだろうかと言う観点に立っています。ですから順位を正確に反映するものではないということを知っておいて頂きたいと思うのです。なぜなら、bjはスポーツとしてのバスケットボールがビジネスとして成り立つのかどうかという、壮大な実験リーグでもあるからです。大手広告代理店の上級職の方々、また同じアリーナでやるバレーボールやアイスホッケーの団体の方など、皆その結果に対して興味津々なのです。
 それはそうだと思います。バスケだけではなく他のスポーツも生き残りを賭けるにはプロへの道しかないと考えはほとんど一致しているからなのです。
 bjは最初から入場観客数を一桁の単位まではっきりと出していますから、読みやすいのです。その比較をすればひとつのビジネスモデルとして大きな参考になるのは間違いのないところだからですね。正直、ボクも初年度は数字を見ても、それがどのように読めるのか見当がつきませんでした。だからこの“なんトラ”でも数字には触れずイメージ的な言葉で、ファンが喜び、プレイヤーも必死になってやっている、それが反映されているのが見られるのが嬉しい事だ。と、いろいろな所で言い、そして書いてきました。
 しかし今シーズンは違います。はっきりとした数字が出ているので評価基準が出てきているからです。
 2005-06シーズンの6チームの観客動員数は249,337人。平均2,078人でした。
 2006-07シーズンは31,5861人。66,524人の増加です。1ゲーム平均554人増の2,632人となりました。2年目は富山グラウジーズと高松ファイブアローズが加わりましたので実際は399,788人の人々が全国のアリーナに足を運び、平均2,486人という数字が出ています。着実に伸びてはいるのです。
 しかし、まだまだチームが、リーグが健全なる経営状態になるには気の遠くなるような時間が必要です。無理して無理してようやくここまで来ている、というのが本当の所でしょう。どこかで、誰かがやらねばならないという使命感でここまで来たわけです。携わっている方々の努力とその使命感にはただ黙って頭を垂れる以外に方法はありません。
 ボクがお手伝いをしている大分ヒートデビルズが取ったデータに大変面白いものがありましたのでお伝えしたいと思います。全チームがデータを取ったわけではありませんので確信を持っていえるものではありませんが、かなりの考え方の整理と、方向性が見えてくると思うのです。
 観戦者の性別ですが2006年は334人の回答者のうち、男性が111人(33.2%)、女性が223人(66.8%)。2007年は479人のうち男性が164人(34.2%)、女性が315人(65.8%)となっています。
 過去のバスケット経験ですが2006年は333人のうち、経験ありが153人(45.9%)、経験なしが180人(54.1%)。2007年は442人のうち経験ありが146人(33.0%)、経験なしが296人(67.0%)です。そのなかで現在のバスケ活動、つまりやっているかやっていないかということですが、2006年は325人のうち、やっているが72人(22.2%)、やっていないが253人(77.9%)。2007年は435人のうち、やっているが48人(11.0%)、やっていないが397人(89.0%)となっています。
 このデータから考えられることは、バスケットボールは女性のお気に入りのゲームであるということになりそうです。そして、プレイの経験に関しては初年度こそおおよそ半々でしたが、2年目になると経験していないひとが約7分3分で多くなっています。現在の活動状況は90%近くが圧倒的にやっていない人が多いということが判明したわけです。
 bjは完全に新たな顧客層を開拓したといえるでしょう。会社、学校の動員に頼るJBLとは違った道を歩んでいることがはっきりしたのです。
 しかし、何度も繰り返すことになりますがまだ2年目、よちよち歩きのリーグ、これからも大変なことが山積みの状態です。観て、面白いということは保障できるようになりました。できればこの“なんトラ”を読んでおられる読者の方でゲームを観れる環境にある方はアリーナにいってみてください。その行動のみがバスケットボールが日本でも文化として定着する方法なのです。
 比較すること自体が非常に無理があるのは承知でNBAの観客動員数のデータをお伝えしましょう。
 2005-06年のデータです。30チームで1,230ゲーム。観客動員数は21,595,804人、平均17,588人。チーム数で1/4弱、試合数1/10、1/30のリーグ経験の差でこういうことになります。目標は高~い、高~い所にあるのです。
 こんなことも知っておいてください。

 それでは次回の“なんトラ”までSEE YOU!


bjホームタウンレポート富山編

実に3ヵ月ぶりの更新です。お待たせしてしまい、ごめんなさい(ペコリ)。何人かの方から「更新まだ?」と言われ、「こんな駄文でも見てくれている人がいるんだなぁ」と改めて認識した次第です。本当にありがたい話です。もっと頑張らねば……
さて、bjリーグの2年目もあっという間に終わってしまいましたが、僕が今シーズン開幕の時に「今年も全てのホームを見に行く!」と宣言したことを覚えていらっしゃるでしょうか?
昨年は全6チームのホームゲームを見ることができました。それで「今年も」と思ったのですが、今シーズンはいろんな意味で遠征する余裕がなく、東京・埼玉以外で行ったのは高松と大阪が各2試合、ファイブスターキャンプ@佐野のついでに足を伸ばした山形(仙台ホーム扱い)が1試合。毎年最低でも3回は行く新潟にも1回しか行けず、大分のホームゲームはついに行くことができませんでした(島本さんゴメンナサイ)。
で、残るは富山。実は昨年4月の別府遠征の際に富山のスタッフと食事会で同席していて、「必ず行く」と宣言していたので行かないわけにはいきません。しかも同じ新規参入組の高松には既に行っていますから、なおさらです。3月31日と4月1日でレギュラーシーズンは終了。その両日が富山での試合ということで、このチャンスは逃すことはできませんでした。この旅がちょっとしたハプニングのオマケつきになることは、もちろん僕も知りません。

当日、試合開始が午後6時30分ということで、僕は午後1時頃に家を出ました。大宮駅から新幹線に乗り、越後湯沢でほくほく線という路線の特急金沢行きに乗り換えです。おおむね順調……のはずでしたが、当初乗る予定だった特急は僕の勘違いで既に出発していて、次の特急まで1時間待ち。あちゃー、やっちまいました。
でもこれだけでは終わらないのです。1時間待って乗った特急が強風のため徐行運転、さらに黒部と魚津で計1時間ほど停車。富山市総合体育館に着いた時には、試合は4Q残り4分59秒(オフィシャルタイムアウト中)でした。取材する試合に遅刻したことは何回かありますが、一番遅れた時でも2Q残り7分くらい。ここまで遅れたのはさすがに初めてです(-_-;)
こうなったらもうスコアをつけてもしょうがないし、なんかぐったりしてしまってスコアをつける気力もそもそもありません。残り5分はメモも取らずただ観てるだけ。一応記者会見には顔を出しましたが、なんせ試合をほとんど観ていないので会見で喋っている内容も理解できません。一体僕は何をしに来たんでしょう(爆)。

気を取り直して、翌日。この日がレギュラーシーズン最終戦です。10時にホテルをチェックアウトし、体育館の近くまで来てみると、どうやらこの一帯は体育館以外にもいくつかの施設が集まっているようです。脇には川が流れ、水辺はきれいに整備され公園になっています。どの建物も新しくて立派です。富山駅は大きいターミナル駅とイメージしていましたが、そこから徒歩5分の位置とは思えないのどかさ。駅の南側はそれなりに都会ですが、北側はすごくゆるやかに時間が流れている印象です。
いざ体育館に到着し入口を入ると、既に300人は並んでいました。その列のすぐ横に、バスケ選手の銅像を発見。胸には「TOYAMA」、背番号は23。誰かモデルはいるのか? いないとしたら23番ってのは安易でないかい? そもそもなんでバスケ? などとくだらないことを考えながら、食料調達のために一旦体育館を出ました。この時点で列は500人くらいに伸びて、館外にはみ出ています。
体育館から一番近いコンビニもこの日はさすがに混んでいて、店を出るのに20分はかかりました。そして体育館に戻ってみると、統一地方選挙の時期とあって、県議だか市議だかの候補者が建物の脇で街頭演説を始めていました。面白かったのは、スタッフが着ているジャンパーがよりによってこの日の対戦相手・新潟のオレンジ! で、演説を聞くと「我々、オレンジを着てはいますが、こよなく富山を愛しております!」……う~ん、どこか説得力に欠けます(笑)。
さらに聞いていると「私は学生時代、サッカーや柔道などいろんなスポーツをやっておりました。もちろんバスケットも大好きです!!」……本当かなぁ(爆)。それでも、「県内初のプロスポーツチームとして、グラウジーズには富山を盛り上げていただきたい」という言葉を聞いて、「ここを選んで来てくれたんだからありがたいじゃないか」と思いましたね。お名前は失念してしまいましたが、当選できたのかどうかちょっと気になります。
体育館の入り口まで来ると、列はさらに伸びています。こりゃ1000人近くいるかな。結局開場は当初の予定通り12時でしたが、少し繰り上げてほしかったですね。昨夜降っていた雨も上がり、寒さもそれほど感じなかったのが救いです。

そんなこんなで、いざ試合。大黒柱#3ジェロッド・ワードはもちろんのこと、この日は#17ネイト・ジェームスも獅子奮迅の活躍で、前日勝った勢いそのままに、リーグ最少失点を誇る新潟から前半47点を奪い、13点リードで折り返し。最大で17点リードし、4Q残り7分を切ったところで#13米本聡の3ポイントが決まって10点リード。富山のホームゲームとして過去最高の3702人の観衆は、そりゃあもう大変な興奮状態です。
しかし、その直後にチームの顔とも言うべき#1呉屋貴教がファウルアウト。これが合図になったかのように新潟の逆襲が始まりました。インサイドの要#21ニック・デービスに加え、前半集中力を欠いた#44ジャック・ハートマンがガンガン走ります。サイズのある2人に走られては富山もたまりません。リバウンドを取ったデービスのタッチダウンパスでハートマンがダンク、3分強の間に13-0という猛攻でついに逆転しました。富山も必死に食い下がるものの、最後はファウルゲームのフリースローをハートマンがしっかり決め、新潟の勝利。
負けたとはいえ、この日の富山ブースターの熱狂ぶりは素晴らしいものでした。試合後のセレモニーでは、キャプテン#33根間洋一が「良い経験をしたし、いろんな人に出会ったし、富山が好きになったし、充実した1年でした」と言えば、福島雅人HCは「皆さんの思いを背負って、来年も戦っていきます」と力強く宣言して拍手を浴びました。グラウジーズは元々7年ほど前から地域に貢献する活動をしていて、クラブ選手権優勝やオールジャパン出場などチームとしての実績もあるチーム。その地道な活動が生きたのか、しっかりと地域に根を下ろしたチームになっていることは、この日の体育館の様子で十分に理解できました。

ところで、この最終戦を前に、アトラスコーポレーションがメインスポンサーから撤退するという報道がありました。そんなこともあってこの最終戦終了後には河内敏光コミッショナーも駆けつけ、アトラスコーポレーション泉俊光代表の記者会見も設定されました。その泉氏曰く、「撤退はするが、種はまけたんじゃないかと思う。これからは富山県民の一人ひとりがグラウジーズを作っていってほしい」。その通りです。報道を受けて、“チーム解散の危機”と解釈した人も中にはいたようですが、東京や大阪のような大都市じゃなくてもプロ1年目に3700人を記録できたんだから、富山は大丈夫。
次のシーズンも富山に行くぞ~~~!!