継続のみが進歩を裏づける、と思う。 – なんトラ90

今年は、自らが動かない限り何も進まないのは分かっていても、なかなか動けない1年でございました。そして物事はけっして飛躍的には進歩はせぬもの、ということを再確認させられた年でもありました。

でも、確実に少しずつ、少しずつは前に進んでいるんですね。

bjもなんとか3年目のシーズンに入れました。大分ヒートデビルズの顧問をさせてもらっている関係で、チームの維持の大変さが本当に良く分かります。みな身を削って頑張っていらっしゃるのがひしひしと伝わってきます。でも、続けていれば苦しいことだけではなく、嬉しいこともたまにはあるわけで、それでもっているようなものでしょう。

それは13年目に入ったファイブスター・キャンプも同様です。たった1日で目を見張るような成長を見せてくれる子どもたち、そしてその成長に対する喜びの笑顔をくれるから岡山恭崇氏ともどもやっていられるのでしょう。

さらにHOOPHYSTERIA(フープヒステリア)も10年目に突入です。NBAオフィシャルファンクラブの流れからスタートしたヒステリアも毎月発行する会報のBULLETIN(ブレティン)を軸に活動していますが、メンバーの中には何人か、会報の原稿を書いたり、活動の手伝いをしつつ勉強をして、バスケ関連の仕事に就いた者もでてきています。自分で自分の居場所を見つけたのですね。こんな事象が出てくるとやはり嬉しいものです。これも続けられる大きな要因です。

自分で分かる進歩というものもありますが、大体は気がつかないもののようです。あまりにも傍にいるので、子どもが大きくなったのが分からない親のようなものなのでしょうか。外から見ている人にはよ~く分かるものなのです。
キーワードは“継続”でしょう。続けている時はわかりませんが、何年か経つと見えてくるものが確実にあります。そこに期待するとしましょう。
才能に恵まれないボクにとっては、それしかありません。しつこく、しぶとくくたばるまで続けることしかね。まぁ、好きなことはず~っと続けていても楽しいし、疲れませんから。

来たる年が皆さまにとって良い年になるようお祈りしております。そして楽しいことをみつけて、大いにトライしましょう。
それでは次回の“なんトラ”までSEE YA!


インターナショナル・マンス – なんトラ88

 10月の上旬、結婚式に出席するためドイツのミュンヘンに行ってきました。
我が家の下の息子がホームステイの交換プログラムに参加していた関係で15年前にミュンヘンのシュルツ・ファミリーにお世話になったのですが、そこの妹のインカが結婚すると言うので招待されたのです。このような機会はボクの人生でもめったにないことだと思ったので喜んで受けさせていただきました。

この交換プログラムは、こちらから行きっぱなしで終わりというものではなく、まず日本側が約1か月ミュンヘンでお世話になると、翌年、ドイツのシュルツ家の長男のウインフリード、通称ヴィニが1か月我が家に滞在するという、なかなか良くできているものでファミリー同士のキャッチボールが出来るのです。行く前はそれぞれのプロフィールの交換もあるのでベーシックな家族構成などは分かるのですが、1、2度手紙を出しただけでした。しかし、息子が帰ってくると、お世話になったということもあるのでかなりの数の手紙のやりとりをするようになります。拙い英語で一生懸命に書いていました。
ふだんは何度言っても礼状など書く子ではないのですが、言わなくても書いておりました。「どんな教育をほどこすよりも、旅というものは人間を成長させる」と先人は言っておられますが、それを親としても実感させてもらいました。
そして東京にヴィニが来て1か月我が家に滞在しました。
彼がミュンヘンに帰ってからますます深いファミリー同士の付き合いが始まりました。クリスマス、誕生日のお祝いなどのカードやプレゼントの交換はお約束といえます。でもこちらの英語はひどいものだったと思うのですが、支障はなかったようです。ドイツも日本も第二外国語ですからね。

2年後、シュルツ家はお父さんを交通事故でなくしました。お母さんのハイジはかなり憔悴し落ち込む日々が続いていたようです。それを見かねた妹のインカはお母さんに、気分を変えるため日本に行こうと誘ったのです。彼女も同じ交換プログラムでアメリカのサンフランシスコに行っていたことがあります。異なった国に行けばそこの習慣などに対応するだけでも確実に気持ちの変化が出来ると体感していたのでしょう。
そして来日しました。10年前の春のことです。もちろん我が家が出来る最大級の歓待をしたことは言うまでもありません。その間、ご主人のことはわれわれもひと言も触れませんでした。
明日ふたりがドイツに帰るという夜、うちの奥さんに向かってハイジが、
「お花をありがとう。私の親戚や友人の誰よりも早く日本から届いたわ。近くの親戚より遠く離れた日本の友人から届くなんて……。ほんとうにありがとう。」
と言ったのです。以後、ますます付き合いは深くなりました。

それが、今回の結婚式の招待に繋がったのでしょう。
式はオーストリーのキッツビュールで行われました。有名なスキーリゾートで世界選手権なども数回行われていたと記憶しています。以前はキッツビューエルといっていました。  入籍(?)は11時から。町の役所で親族の前でサインをするだけの簡単なものでしたが、終了後、ホテル併設のゴルフ場のクラブハウスでウェディング・ケーキの入刀と軽い食事で祝います。披露パーティーは30分ほどの距離にあるアルプスの山頂にあるレストランで5時から。まだ明るかったのではるか下のほうに町が見える“Almost Heaven(ほとんど天国)”というロケーションです。そこで夜を徹してお祝いします。
ホテルに帰りついたのは朝の3時をまわっていましたっけ。初めての体験でしたが大いに楽しみました。外国での結婚式の初体験でした。

さて、僅か1週間のヨーロッパ滞在で日本に帰ってきました。
普通であればもう1週間位ゆっくりしてくるのですが、やはり我が家にステイしていたイタリアのフィレンツェのエレーナファミリーが日本に来るということで帰ってきたのです。エレーナの弟のジュリオの奥さんは金子琴美さんという日本人の料理研究家ですが、2人の結婚式のためご両親も来るというので帰らざるを得ません。これが“僅か”の理由です。
内々のお祝いにお呼ばれすることほど光栄なことはありませんから、こちらも本場フィレンツェのマンマの作るイタリアンをワインとともに賞味させてもらいました。お父さんのマルコは出版社に勤めていただけあってお話好きの、とびっきり明るい人。2歳先輩ですが職業が同じということもあって、フィーリングもバッチリ合いました。ワインを1本空けた後、持って行った新潟の地酒の1升瓶をパパとエレーナのだんな様、弟のジュリオの4人で飲んでしまいました。ボクを含めてよく飲むやつらだと女性陣はあきれておりました。4人とも「Buono! Buono!」「kanpai!Kanpai!」の連続の楽しい一夜でした。

1日空けて次の日。以前よりファイブスター・キャンプのコーチをしてくれているカナダ人の英会話の教師のバリーからBBQに誘われていたので、うちの奥さんと、日本に留学中のアンジェラを誘って行きました。アンジェらは以前にも書きましたがUBC(ブリティッシュコロンビア大学)の卒業生。話が合うのではとコーディネイトしたのです。ちょうどお母さんとお姉さんも日本に来ていたので、話はいやがうえにも盛り上がりいっぺんに仲良くうちとけていたようです。
このBBQ、ボクはワインとさんまを持っていきました。ステーキカントリーの人間は肉ばかりと思ったのでね。大好評でした。最初はしり込みしていたバリちゃんも(奥さんのお母さんがそう呼んでいました)バリバリやっていました。

食べること、飲むことがあれば、しゃべることはなんの障害もなしです。これこそ本当の“No problem!!(ノープロブレム)”です。
10月は楽しい、ハッピーなインターナショナル・マンスでした。皆さんもチャンスがあったら逃げないでトライしましょう。絶対に楽しめること請合います。

それでは、次回のなんトラまでSEE YA!


日本語力アップがコミュニケーションの決め手! – なんトラ87

 さて、前回のなんトラは“居直りコミュニケーションのおすすめ”をしたわけですが、その前に、いや、英会話やその他の外国語会話を習ったり、覚えたりする前にしなければならない重要なことを言うのを忘れておりました。

 見知らぬ土地に行ったり、見知らぬ人々を前にした時、否が応でも日本人であることを意識せざるを得ないことが多々ありました。そんな時意外と自らが生まれ育った国、日本のことを知っていない現実に唖然としたことが何度もあります。
 そこで今回は、もう少し日本語をしっかり見つめなおすことをトライしてもらいたい、というおすすめをしたいのです。もちろんのこと外国語を一生懸命に学び、外国を理解しようとする姿勢や態度は必要不可欠なものですが、漢字の持つ意味を知ったり、諺などの意味を知ることによってかなりのコミュニケーション力が増すと思われるからです。
 諺は小学生時代に覚え、中学時代の英語の授業でその諺を丸暗記したものが随分と役に立ちました。けっこう覚えているので自分でもびっくりしています。
 たとえば“転がる石に苔は生えない”というのや“習うより慣れろ”などというのは、“rolling stones gather no moss.” “practice makes perfect.”と英語で書きますが、両方ともスポーツの中に出てくる会話にはかなり有効です。特に“習うより慣れろ”の直訳は“練習は完全を作る”となりますから言い得て妙な表現です。キャンプでよく使っています。

 しかし、英語の苦手な人は日本語の、とくに漢字を見直してもらいたいものです。
中国語や日本語のように一字々々の文字にそれぞれ意味があって、全体でひとつの語となるものを表意文字といいます。そして、アルファベット26文字の組み合わせで綴る英語やその他のヨーロッパ言語、アジアではハングル文字で表す韓国語などは表音文字といいます。
“世界はひとつ”などとよく言われますが、言語的には決してひとつではないし、そんな言葉の違いが人間同士のコミュニケーションを妨げているのでしょう。英語で表現するにしても、その他の言語で表現するにしても、ファンダメンタルである日本語=漢字を学び直せばかなりコミュニケーション度がアップすると思います。
たとえば不正という語があります。正しくないことをすることですが、これをひとつにまとめると歪という字になりますが、不正をするから人間性が歪(ゆが)んでしまうのです。また、不正をした人が更正する、つまり悔い改めて元の正しいことをするようになると、甦(よみがえ)る、となります。
 さらに人間の一大特性である“夢”を持つということについて考えてみると、ヒトだから夢をみるといわれるし、人が夢を持つから儚(はかな)いのだ、といわれます。儚いものだから、夢中になるのかもしれません。
 ことほど左様に、表意文字の組み合わせだけでも大いに見直さなければならない意味合いを含んでいるといえます。言語をつかうのは不可解なる人間のみです。故に歪んでも甦るし、儚くても夢見るのだと思います。
 日本語力、つまり表意文字というものを基本にすえてコミュニケーションしてください。知識的余裕が幅を広げます。そしてコミュニケーションの兆(きざ)しが見えたら一気に乗ることです。もたもたしていると“しんにゅう”が着いて逃してしまいますからね。

 それでは、次回の“なんトラ”までSEE YA!
 


こんなことってあるんですね? – なんトラ85

 ボクが毎月定期的に原稿を書いているのはそんなに多くないのですが、先日、その中の一本で本当に面白い経験をさせてもらいました。
 仕事柄、全国各地での取材や、bjの大分ヒートデビルズの顧問的なものをやっていますし、ファイブスターキャンプでもあちらこちらを飛び回っているので、そこかしこでいろいろな質問や相談をされることが多々あります。
 軽いものから重いものまで、その時そのときで違いますがどんな時にでも出来るだけお会いしてお答えすることにしています。しかしそれも限度があるので月刊バスケットボールにはわがままを言ってQ&Aというページを作ってもらうようにして10年以上になります。
 ハガキやお手紙、最近はメールでの質問・相談が増えてきました。たとえ内容がダブろうとも、以前にお答えしたなどというものでも時は流れていますし、状況が変わっていることもあるので書くことにしています。

 冒頭に書いた面白い経験というのは、
「世界的見地から見て身長の高い、身体の大きな民族というのはあるんですか?」
というものでした。いままでこの手の質問はまずなかったし、あっても「誰が一番背が高いのか?」というごく単純なものばかりでした。ですから、世界を視野においた見方で答えたことはなかったのです。
 TVであれば番組の中での談話ですみますから、頭の中に浮かんできたことを言えばよいのですが、書くという作業が加わるとひとつひとつすべてに根拠がなければいけないので、いちいち文献を調べたり、その道に詳しい方に当たらねばなりませんから膨大な時間がかかります。
 今回はそんなケースでした。でも、ボク自身も以前、同じような疑問を抱いたことがあったので昔の取材ノートを引っ掻き回してさがしました。そして書き上げたのです。その取材ノートの日付は20数年前のもので、取材はしたもののボツにしたものでした。
 ボツにした理由は今でもはっきり覚えています。
 これを記事にしたら日本の若きプレイヤーたちの夢を壊すに違いない、とその時は感じたからでした。
 人種や民族的なものなどを研究する学術分野には人類学というものがありますが、身長や身体の大きさという面を研究していた人類学の大学教授に取材したものでした。その先生にいろいろなお話を聞いた後、気になっていたことを最後に質問しました。
 「先生が研究されたものをベースに考えて、日本人はバスケットボールに向いているか、向いていないかどちらでしょう?」
 そのとき、先生はあっさりと、
 「絶対にとは言えませんが、日本人はモンゴロイド系で世界的に見ても身長の低い部類に属する人類ですので、ゴールが305cmという高い所にある競技特性からいったら、かなり不利、ゆえに向いているとは言い難いですね」
というものでした。
 ちょうど部数も角度は少ないものの漸増でしたし、なにもそのムーブメントに水を指すことはないと感じてボツにしたのでした。
 
しかし、それから20数年、世の中は大きく変わりました。テクノロジーの発達に伴い、FAXが生まれてきたし、ワープロなどというものも(現在は消えてしまいましたね)一世を風靡しました。さらにパソコンが出回ってからはインターネットが世界を席捲、eメールの出現で世界はどんどん近くそして狭くなって行ったわけです。
 バスケットボールの世界も、NBAにブルガリアのゲオルギ・グシュコフというプレイヤーが1986年にフェニックス・サンズに最初に入って以来、もの凄い勢いでアメリカ以外の国で生まれ育ったプレイヤーがふえています。それはNBA好きの皆さんも実感されていると思います。

 ちなみに背の高い民族というか人種が多く出てくるのは、北欧からオランダ近辺、そしてバルト海沿岸諸国、旧ユーゴスラビア(スロベニア、クロアチア、セルビア・モンテネグロ)近辺、中央アフリカ近辺、中国北東部、南米のアルゼンチンあたり、ということでした。
 現在のアメリカを除いた強豪国の分布とピッタリ一致しています。
 アメリカは移民の国ですからこれらのすべてから集まっており、特に黒人プレイヤーは奴隷として連れてこられた中で身体の強いDNAを持って生き抜いた子孫と考えてよいと思うのです。

 身体の小さな日本人がこんな中で生き抜いて行くのは大変なことですが、田臥君の例もあります。20数年前とはまるっきり違う世になっている現在。もう、夢が壊れるなどという心配は必要ないと思ったのです。だから書きました
 それより、ふた昔以上前に取材したメモが復活そして再生したことに感動を憶えた自分がいるのを発見できたことが、面白く愉快でした。

 教訓! やはり取材はこまめに足で稼がなければいけない。ということですね。もし、もう少し詳しくと思われる方は現在書店に並んでいる月刊バスケットボールの10月号のQ&Aを読んでくださいませ。

 それでは次回のなんトラまSEEYA!


血の濃さを感じさせてくれる聖地・柏島 – なんトラ84

 6月2日、朝一番の便で高知に向かいました。7時半のテイクオフですから家は5時半には出なければなりません。でも、なんだか遠足に行く気分。爽快な旅立ちです。
 同行者も同じ気分だったようで、予定どうりの時間に高知に着きました。早速レンタカーして、一路、幡多郡大月町柏島に向かって走り始めました。まずは、土佐久礼という港町をめざします。ここは“土佐の一本釣り”というコミックで有名な青柳裕介さんの出身地で、彼の銅像も太平洋に向かって建っているという由緒ある地です。

 ここで、少々高知について受け売りの説明をしておきましょう。でないと柏島というのがどこにあるかがイメージできませんからね。
高知県は四国の中でも太平洋に向かって両手を広げているような感じで存在しています。地図を見るような形で表現すると右側に突き出ているのが室戸岬、左側が足摺岬になります。両方とも台風の時には必ずといってよいほど名前が出てきます。土佐久礼はちょうど中央くらいに位置していて、柏島は足摺の左側の突端と考えていただければよいと思います。

 高知から須崎までは高速がありますが、そこからは一般道。久礼はそのとっかかりでした。昼ごはんは久礼でと設定していたので、さっそく“かつおのたたき定食”としゃれました。それに“きびなごのてんぷら”が旨そうだったので注文。大当たりでした。これで一杯とくれば最高ですが、運転をしてくれている従兄弟に申し訳ないのでがまんがまん。5人とも高知の印象度が大きくアップしたのはいうまでもありません。
 天候は曇りでしたが道はすいており、いっきに旧中村市、現四万十市の手前の大方町の道の駅にある情報センターまでひとっ走り。ここの浜辺はかなり広くて毎年5月に全国からTシャツのデザインを募集して、数千枚を展示するといった催しをする砂浜美術館が有名です。売りが砂浜というのもなかなか素敵です。ここまで2時間半はかかっています。もちろんあっちへ寄り、こっちを見るといった旅ですからいたしかたありません。
そして四万十川をこえて宿毛市に入ります、海岸端から山の中の道になるわけです。宿毛は港町で九州・大分の佐伯からフェリーが出ていると聞いてびっくり、佐伯にも時々行くので次回は九州から入るのも面白そうなどと考えている自分にあきれもしました。悪ノリの癖は抜けんものです。ここでも1時間。

 宿毛から目的地までは車で1時間半、舗装はされてはいるものの道は細くほんとにこの方向でいいのか? と言うような道でした。
「あと少しみたいだよ」という従兄弟の言葉が聞こえたと思ったら、バーンと風景が変わり海が前面に展開したのです。そこが柏島でした。
日本でも有数のダイビング・スポットであり、島の周りにはさんごが自生するという本当にきれいな海に囲まれています。
隣の町の宿毛までの遠さを考えると、親戚の皆さんの言っている「海には目が行っても、本土の方には目が行きません」というのが初めて実感できました。すべて船で行動していたのでしょう。ボクの祖父も船で高知まで出て、そこから東京に出たと言う話を聞いたことがあります。
「日本の中でも空港から4時間以上かかるのはここ位のものらしいよ」という凄い所、柏島。
島の半分くらいは親戚らしいし、なんとなくホッとする居心地の良い場でした。清貧な地であり、信仰心の厚い、血の濃さを感じられる所など、なかなかあるものではありません。ボクにとって新たな大切な聖地となった気がします。
ともすれば仕事が忙しいとか、いろいろな理由をつけがちの若者のお尻を蹴っ飛ばしてくれた叔母に感謝、感謝の旅でした。

それでは次回のなんトラまでSEE YA!